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2022年6月21日火曜日

散策の会 梅川会員からの寄稿:旧新橋停車場と高輪をぶらり

旧新橋停車場と高輪をぶらり

――高輪には風変わりな妖怪もいました――

 先日日本最初の鉄道駅である旧新橋停車場を見物しながら少し足を延ばして高輪をぶらりと歩いてみようと出かけました。高輪というと忠臣蔵で有名な泉岳寺や大石良雄外十六忠烈の跡が真っ先に浮かびますが、敢えて忠臣蔵関係を外して回ってみることにしましたが、高輪は急な坂の多いところでした。


 旧新橋駅(新橋停車場跡)

今年は日本に鉄道が初めて走ってから150
プラットホーム
年目だそうです。鉄道は明治
2
鉄道の始点を示す零表示
年に東京と京都を結ぶ幹線と
東京・横浜間、京都・神戸間及び琵琶湖畔・敦賀の三支線を建設する政府決定がなされ明治5年に新橋・横浜間が開通したが、資金・資財・技術者を英国に一任して着手したものでした。ただ、計画の主体性はあくまで日本政府の手にとどめていたそうです。
線路の形が上下同じ形なのは
摩耗したら上下を入れ替えて
再利用するためです。



当時は沿線住民の反対や陸路の輸送の主体であった馬子・車曳・地方の郡部の妨害も強かったようです。

田町・品川間も軍部が反対した結果、陸路を通れず海上に堤を造って(築堤)通すことにしたそうです。高輪ゲートウエイ駅周辺の開発時に、この築堤の一部が発見され後世に残すことになったが現在は工事中なので見ることが出来ません。

高輪大木戸跡(港区高輪2-19

東海道から江戸府内への出入口(まさに江戸のゲートウエイですね)として設けられた大木戸の跡。大木戸は明け六つに開かれ暮れ六つに閉じられ治安の維持及び交通規制の役割をはたしていた。伊能忠敬はここを全国測量の起点としたとのことです。江戸には四谷の大木戸などもありましたが現存しているのはこの高輪の大木戸だけのようで国の史跡に指定されています。


  
高輪海岸の石垣石(港区高輪2-13-8

港区教育委員会の解説を見るとこの石垣は江戸時代に高輪海岸(現在の第一京浜道路が海
正面2段の石垣
岸線になっていたようです)に沿って作られた石垣に用いられたもので平成7年(1995年)に高輪2丁目20番地の建設用地内の遺跡の発掘調査で出土したものだそうです。
発掘調査では3段の石積みが確認されたが、最上段は江戸終期に積み直されたものとのことです。なお3段目から下のものはそのまま現場保存とのことですが現場は現在工事中の場所なので見ることはできませんでした。

東禅寺(臨済宗;海上禅林佛日山東禅興聖禅林寺;港区高輪3-16-16

慶長14年(1609年)に現在の港区赤坂に創建され、寛永13年(1636年)に現在地に移転したそうです。当時、寺の前が東京湾に面していたことから海上禅林と呼ばれ多くの大名家も檀家になっていたとのことです。江戸末期には西洋人の宿舎に当てられており安政6年(1859年)には日本最初のイギリス公使館(公使ラザフォード・オールコック)が置かれました。このため攘夷派に狙われ安政7年(1860年)に公使付き通訳(日本人)が門前で殺害され、翌年の1861年(文久元年)には水戸藩浪士の襲撃(第一次東禅寺事件)をうけ書記官などが負傷、翌々年の文久2年にも襲撃(第二次東禅寺事件)を受けイギリス水兵2名が殺害されています。また、幕命とはいえ異国人を住まわせたということで“穢れた寺”と非難され有力な檀家が多く離れたこともあったようです。

このお寺の境内には公使館として使われた建物や立派な庭園があり2010年に国の指定史跡になっていますが残念なことに境内は完全非公開ということで見ることはできませんでした。

 

承教寺(日蓮宗;長祐山承教寺;港区高輪2-8-2

正安元年(1299年)に現在の港区虎ノ門に創建され江戸時代初期の承応2年(1653年)に現地に移転したとのことです。このお寺の住職から3人の大本山池上本門寺貫主を出している名門寺院でした。

妖怪「狛件(こまくだん)」
このお寺の場所辺りは、以前は「二本榎」と呼ばれていました。この地名の由来は江戸時代に東海道の品川宿の手前にある丘陵地帯を「高縄手」と呼んでいて、そこに二本の榎の大木があり旅人の目印になっていたため、この地を「二本榎」と呼ぶようになったが戦後の地番変更で「高輪」になったとのことです。今も門前にこの二本の榎木(何代目かは分かりません)があります。また、山門の前に狛犬風の像(神社ではないので狛犬の筈がないのですが)があります。これは「狛件(こまくだん)」という牛から生まれ人間の言葉を話し、生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶、流行り病、旱魃、戦争などの予言を発し、その予言は必ず当たるという妖怪だそうです。

英一蝶の墓
現在も居たらコロナがいつ止むか、ロシアとウクライナの戦闘がいつ止むかなど聞きたいですね。
なお、境内には、芭蕉や宝井其角等と交友関係にあった江戸中期の画家「英一蝶」の墓があり東京都の旧跡指定を受けています。英一蝶は伊勢亀山藩の侍医の家に生まれ狩野派の勉強もしていますが、為政者の徳川綱吉・柳澤吉保を風刺したとかで生類憐みの令違反で島流しにあったこともあるようです(島流しの経緯については釣りをしたためなど諸説があるようです。)。

高輪皇族邸(港区高輪1-14-1

元々は熊本藩細川家の下屋敷跡の一部で旧高松宮邸として使用されていた(大正時代に昭和天皇の皇太子時代に一時期住んでいたこともあるようです。)。戦後は貿易庁の迎賓館とし
美智子上皇后様お手植えの薔薇
プリンセス・ミチコ)四季咲きの薔薇
て使われていたこともあったようです。2005年以降は無人のままでしたが2019年平成天皇が退位し上皇になったことから仮の仙洞御所になった。
今年4月26日に改修が終わった旧赤坂御所(仙洞御所)に上皇ご夫妻は移られています。
なお、門の脇に上皇后が植えられた薔薇(プリンセス・ミチコ;四季咲きのオレンジ色の薔薇)があります。


旧新橋停車場にある鉄道博物館


  

寄稿:散策の会会員 梅川芳宏(1962法)


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