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2015年10月28日水曜日

児童養護施設 錦華学院

練馬区江古田にある児童養護施設 錦華学院 (院長 土田秀行様)を来年3月に巣立つ4人(男子2人女子2人)にひとり暮らし用 家電・家具を集めて贈ることになりました。

5か月しかありませんが、ご支援よろしくお願いいたします。

ボランティアの会 世話人 鈴木邦明
090-7198-5141

2015年10月26日月曜日

深川散策 ―清澄白河の松尾芭蕉の史跡を中心に


今回の「散策の会」は、深川(森下・清澄)の散策を、10月20日(火)参加者12名で午後からはガイド付き散策を下記の場所で楽しみました


江戸資料館: 江戸天保年間の深川佐賀町の街並みの再現をメインに深川近辺の歴史資料や相撲関係の資料が多く展示されていました。火の見櫓や掘割を造り、屋根に猫を置いて鳴き声を聞かせるなど、なかなか凝った街並みでした。

江戸の町は、武士と神社仏閣で85%近く占められ、残りに町民が住んでいたとのことで、京都、大阪と違って土間もない狭い家の中に釜処も設置されるなど火事の多い原因にもなっているとのことでした

 昼食は深川丼を楽しみました。炊き込みご飯は大工さんの弁当に好都合、ぶっかけ丼は漁師の賄いだったそうです。

霊厳寺(江戸六地蔵五番)
霊厳寺(定信の墓所)
 霊厳寺: このお寺には、徳川11代将軍家斉の下で老中首座・将軍補佐を務め、寛政の改革を行い幕府の再建を目指した陸奥白河藩第三代藩主松平定信(吉宗の孫)の墓所があり、その事でこの地域に「白河」の名前が残っているとのことです。霊厳寺は隅田川河口を埋め立てて築いた霊厳島から明暦の大火後に現在地に移転してきたとのことで、浄土宗の関東十八檀林(僧侶の養成機関・学問所)の一つだそうです。また江戸六地蔵の第五番、水戸街道に分置された大きな(身の丈2~3m地蔵菩薩が安置されています。
 
深川神明宮
深川神明宮: 徳川家康が鷹狩に来て、神明宮で休んだ折に、この地域に名前がないことを知り、この地を開拓した家臣の深川氏の苗字をそのまま地域の名前にすることを命じたとのことで、この場所が「深川」の名称発祥の地といわれています。

芭蕉記念館: 江東区が芭蕉の業績を顕彰して昭和56年に建てたもので、芭蕉の書簡や俳文学関係の資料などが展示されており、庭園には芭蕉の句に因んだ花や草木が植えられていました。
 
芭蕉庵史跡展望公園: 芭蕉記念館から赤穂浪士が泉岳寺に引き上げる途中に通った道をたどって隅田川と小名木川の合流点に設けられた小さな庭園に到着。
芭蕉像(昼間は公園を向いて座っているが、夜間になると川の方を向きライトアップされる)や芭蕉庵のレリーフや句碑があり、都の重文である清洲橋(ドイツのケルンにあったつり橋を模して作った橋。)を眺める「ケルンの眺め」を楽しみました。

芭蕉稲荷神社


芭蕉稲荷神社: ここから芭蕉の遺愛品とされるカエルの石像(芭蕉記念館に展示されている)が出土されたことから、芭蕉が構えた草庵があった場所と伝わっている。小さな祠です。近くには、吹き出物などに霊験があり滝沢馬琴の妻もかよったという正木稲荷神社がありました


臨川寺: 萬年橋をわたり、北の湖部屋、大鵬道場や大嶽部屋などがある横綱通りを経て、芭蕉が、よく参禅したという臨川寺に到着、ここには芭蕉墨直しの碑、玄武仏の碑、梅花仏の碑などがありました。





採茶庵(さいとあん): 清澄通りを南に向かい、途中滝沢馬琴の生誕地を左手に見て、芭蕉が奥の細道に出かけた出発点「採茶庵」に到着。
採茶庵にて
滝沢馬琴誕生の地
ここから千住まで3日もかけたそうです。

清澄庭園
清澄庭園: 採茶庵から18句の芭蕉の句が書かれた立札が立っている川沿の桜並木の小道を通って、紀伊国屋文左衛門の屋敷があり、岩崎弥太郎が買い取って築いた回遊式林泉庭園(現在は東京都の所有)です。全国各地から取り寄せた名石・黒松などが配された非常に美しい庭園で疲れを癒して解散しました。
 



2015年10月24日土曜日

武蔵野三田会バーベキューの集い結果報告

平成27年10月14日(水)に開催されたバーベキューの集いの結果報告です。
例年は中央公園のバーベキュー広場で開いていますが、今年は、いつもとは違った場所・雰囲気で楽しむことのできるバーベキューの会を開催することになりました。
場所は、京王多摩川バーベキュービレッジです。
食材の準備、バーベキューセット調達、後かたずけ全てお任せの、超お手頃内容で少し心配な面もありましたが、当日は快晴で絶好の日和に恵まれ、参加各人、十二分に堪能しました。
調理に当たっては、梅川会長自ら鍋奉行ならぬ、BBQ奉行で調理の順や焼き加減を仕切っていただき、総勢6名、飲み、食し、語らい、楽しく2時間余りがあっという間でした。
これを機会に、来年初夏にでも開催したいと申し合わせお開きとなりました。





2015年10月7日水曜日

引出し・折り畳み式ベッドと新たな保管場所

幹事の伊藤雪子さんのご友人の柴田様(武蔵野市)から、ひとり暮らしにぴったりの引出し3つと折り畳み式ベッドを寄贈いただきました。ありがとうございました。

今回から武蔵野市の大島様に提供いただいた部屋に保管しています。保管場所が前提ですので、、大変助かります。

本日寄贈いただいた引出しや折り畳み式ベッド以外に、以前から事務所に保管してあった洗濯機や電子レンジ、ガステーブル、ヒーター、食器類も移したので、数が多く大変でしたが、これまでも参加いただいている三澤正彦さんのお蔭で難なく保管完了しました。お疲れさまでした。
ボランティアの会 世話人 鈴木邦明
090-7198-5141

2015年10月4日日曜日

江戸散歩 ―「江戸五色不動」を訪ねて―


東京に住んでいると「目黒」とか「目白」という名前には馴染みがあります。しかし、「目黒」とか「目白」という名前で思い出すのは、目黒はお不動様であり、目白は学習院や日本女子大、椿山荘といったところではないでしょうか。

実は、「目白」という名のお不動様もあります。従って「目黒」あるいは「目白」という名前も、これらのお不動様に由来しているのではないでしょうか。

それでは、黒と白しかないのかというと、江戸には風水でもお馴染の「陰陽五行説」に由来する黒・白・赤・黄・青の五色のお不動様(江戸五色不動)があります。

このお不動様(不動尊・不動明王)は密教の中心的な仏様で、大日如来の化身だそうです。
大日如来は宇宙のすべてを司る中心的な存在なので、あまりに崇高なため直接拝むのは恐れ多いので化身の不動明王を拝むようになったとのことです。
従って不動明王を拝むということは、宇宙の中心に向って拝むことであり自らが宇宙の中心に溶け込み宇宙と一体になるという思想だそうです。
江戸五色不動は徳川三代将軍家光が、大僧正天海の建言により江戸の結界をつくる不動尊を選び、江戸城五方の法難除け、五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の守護に当てたといわれています。ただし、江戸の川柳に「五色には二色たりない江戸不動」というのがあるそうですから結界は後の世になって目黄、目青を加えて作りあげられたのかもしれません。



目黒不動尊(東急目黒線不動前駅下車徒歩10分)

関東最古の不動霊場だそうです。家光公が、この地で鷹狩を行ったときに鷹が行方不明になり、不動尊に祈願したところ鷹が松の木((たか)(すえ)の松---何代目か分かりませんが現存しています)に戻ったので、不動尊の力を尊信し祀ったそうです。
鷹居の松
境内には「水かけ不動」や炎天・旱魃が続いても涸れることが無い「独鈷の滝」があります。
目黒不動尊
青木昆陽の墓もあり、江戸三富といわれた富籤(あと二つは湯島天満宮、谷中感応寺)も行われたお寺です。




権八・小紫の比翼塚





なお、境内に入る手前左側に、歌舞伎などでお馴染の「(白井)権八・小紫」の比翼塚があります。 




不動尊(都電荒川線学習院下駅下車徒歩5分)


目白不動尊
もともとは現在位置から1kmほど離れた東豊山(ひがしぶざん)(じょう)竜院(りゅういん)新長谷寺に祀られていた断臂不動明王であったが、家光公がこの不動明王に「目白」の称号を贈ったとのことです。東豊山(ひがしぶざん)(じょう)竜院(りゅういん)新長谷寺は先の大戦で焼失し廃寺になり、本尊の目白不動は現在の場所である金乗院(神霊山慈眼寺)の境内の中に移されたとのことです。
境内に入ると正面に大きな堂宇があるが、これは慈眼寺の聖観音菩薩が祀られており、目白不動尊は山門北側の2階建ての上に立つ不動堂に祀られています。

丸橋忠弥の墓


なお墓地には徳川家綱公(第4代将軍)の時に発生した由井正雪の乱(幕府転覆の陰謀)の関係者である槍の名人丸橋忠弥(鈴ヶ森刑場で処刑)の墓などがあります







不動尊(地下鉄南北線本駒込駅下車徒歩3分)
目赤不動尊

開山の万行律師は熱心な不道明王の信仰者で、夢のお告げで伊賀国(三重県)の赤目山に行き山頂で祈願すると天から一寸二分の黄金の不動明王の像を授かりました。
その後江戸に出て現在地付近に庵をむすび不動明王を安置し多くの参拝者があったとのことです。家光公が鷹狩に訪れたときに、それまで赤目不動と呼ばれていましたが、目黒不動・目白不動に因んで目赤不動と呼ぶように命じ大聖山東朝院の号を与えたそうです。
後に上野寛永寺の末寺となり南谷寺の寺号も与えられたとのことです。近くには、樋口一葉の師であり恋人でもあった半井桃水の墓もあります。


青不動尊(田園都市線三軒茶屋駅下車徒歩5分)

伝承では、目青不動は慈覚大師円仁の作といわれているとのことですが秘仏で公開されていません。不動明王は明治15年に六本木にあった観行寺が廃寺になったことに伴って本尊の不動明王と前立の不動明王像が現在の最勝寺に遷されたとのことです。
境内には小田原藩大久保氏、萩野山中藩大久保氏、鳥山藩大久保氏など大久保氏の歴代藩主の墓があります。
目青不動尊
大山道の道標
なお、江戸期には社寺詣でのブームがあり三軒茶屋は大山道と登戸道の分岐(追分)だったこともあり三軒茶屋の交差点には大山不動尊が坐した大山道の道標があります  
 



「三軒茶屋」の由来は、江戸期に現在の交差点に「角屋」、「石橋屋」、「田中屋」という三軒の茶屋があったことからですが、世田谷には下馬、上馬とか駒留八幡社、駒繋神社など「馬」に関した名称や史跡が多いようです。

 
 

目黄不動尊(地下鉄日比谷線三ノ輪駅徒歩3分)
目黄不動尊

 目黄不動尊は、調べてみると実は、三ノ輪の養光山永久寺だけでなく、総武線平井にある牛宝山明王院最勝寺と外苑前の青山高校の近くにある古碧山龍巌寺と3か所もありました。
どの目黄不動尊が五色不動に該当するのかよくわかりませんでしたが、古碧山龍巌寺は関係者以外立入禁止なので、今回は三ノ輪の養光山永久寺のお不動様をお参りしてきました。





文中の由来等は、wikipedia、マイナビ、各ホームページ、猫の足あと、現地の由緒書等を参考にしました。文中に誤りがある場合は筆者の責任です。                                                                        
寄稿者 : 梅川芳宏 (S37 法)


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第13回ボウリング大会の結果報告

第13回ボウリング大会が9月29日(火)19:00~東京ボウリング場にて開催されました。

 今回は清水さんが初参加され、前回同様10名での大会となりました。今後とも10名以上の参加が見込まれ、充実した大会が期待できそうです。常勝松原さんが優勝(Total Pin  326)、準優勝は平尾(261)、そして第3位には安定した投球で梅川さん(241)がなりました。




















 次回は12月8日(火) 19:00~ 開催されますので、皆様奮ってご参加下さい。   平尾