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2015年10月26日月曜日

深川散策 ―清澄白河の松尾芭蕉の史跡を中心に


今回の「散策の会」は、深川(森下・清澄)の散策を、10月20日(火)参加者12名で午後からはガイド付き散策を下記の場所で楽しみました


江戸資料館: 江戸天保年間の深川佐賀町の街並みの再現をメインに深川近辺の歴史資料や相撲関係の資料が多く展示されていました。火の見櫓や掘割を造り、屋根に猫を置いて鳴き声を聞かせるなど、なかなか凝った街並みでした。

江戸の町は、武士と神社仏閣で85%近く占められ、残りに町民が住んでいたとのことで、京都、大阪と違って土間もない狭い家の中に釜処も設置されるなど火事の多い原因にもなっているとのことでした

 昼食は深川丼を楽しみました。炊き込みご飯は大工さんの弁当に好都合、ぶっかけ丼は漁師の賄いだったそうです。

霊厳寺(江戸六地蔵五番)
霊厳寺(定信の墓所)
 霊厳寺: このお寺には、徳川11代将軍家斉の下で老中首座・将軍補佐を務め、寛政の改革を行い幕府の再建を目指した陸奥白河藩第三代藩主松平定信(吉宗の孫)の墓所があり、その事でこの地域に「白河」の名前が残っているとのことです。霊厳寺は隅田川河口を埋め立てて築いた霊厳島から明暦の大火後に現在地に移転してきたとのことで、浄土宗の関東十八檀林(僧侶の養成機関・学問所)の一つだそうです。また江戸六地蔵の第五番、水戸街道に分置された大きな(身の丈2~3m地蔵菩薩が安置されています。
 
深川神明宮
深川神明宮: 徳川家康が鷹狩に来て、神明宮で休んだ折に、この地域に名前がないことを知り、この地を開拓した家臣の深川氏の苗字をそのまま地域の名前にすることを命じたとのことで、この場所が「深川」の名称発祥の地といわれています。

芭蕉記念館: 江東区が芭蕉の業績を顕彰して昭和56年に建てたもので、芭蕉の書簡や俳文学関係の資料などが展示されており、庭園には芭蕉の句に因んだ花や草木が植えられていました。
 
芭蕉庵史跡展望公園: 芭蕉記念館から赤穂浪士が泉岳寺に引き上げる途中に通った道をたどって隅田川と小名木川の合流点に設けられた小さな庭園に到着。
芭蕉像(昼間は公園を向いて座っているが、夜間になると川の方を向きライトアップされる)や芭蕉庵のレリーフや句碑があり、都の重文である清洲橋(ドイツのケルンにあったつり橋を模して作った橋。)を眺める「ケルンの眺め」を楽しみました。

芭蕉稲荷神社


芭蕉稲荷神社: ここから芭蕉の遺愛品とされるカエルの石像(芭蕉記念館に展示されている)が出土されたことから、芭蕉が構えた草庵があった場所と伝わっている。小さな祠です。近くには、吹き出物などに霊験があり滝沢馬琴の妻もかよったという正木稲荷神社がありました


臨川寺: 萬年橋をわたり、北の湖部屋、大鵬道場や大嶽部屋などがある横綱通りを経て、芭蕉が、よく参禅したという臨川寺に到着、ここには芭蕉墨直しの碑、玄武仏の碑、梅花仏の碑などがありました。





採茶庵(さいとあん): 清澄通りを南に向かい、途中滝沢馬琴の生誕地を左手に見て、芭蕉が奥の細道に出かけた出発点「採茶庵」に到着。
採茶庵にて
滝沢馬琴誕生の地
ここから千住まで3日もかけたそうです。

清澄庭園
清澄庭園: 採茶庵から18句の芭蕉の句が書かれた立札が立っている川沿の桜並木の小道を通って、紀伊国屋文左衛門の屋敷があり、岩崎弥太郎が買い取って築いた回遊式林泉庭園(現在は東京都の所有)です。全国各地から取り寄せた名石・黒松などが配された非常に美しい庭園で疲れを癒して解散しました。
 



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