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2016年12月31日土曜日

ジャズライブ報告


年の瀬も押し迫った12月26日、27日の両日今年最後のジャズライブを聴く会を開催しました。26日は吉祥寺STRINGS(参加10名)で、27日は新宿Back in Town(参加5名)でした。フランス留学から一時帰国の石内幹子はちょっと風邪気味でしたが元気に留学の成果を披露してくれました。








26日:石内幹子、大橋祐子(p)、小美濃悠太(b)、
27日:石内幹子、河野文彦(g )、手島大輔(g)、阿部恭平(b)、依田彩(v)

伴奏者はいずれも第一線で活躍する人気メンバーですが、組み合わせの影響で両日は全く異なるスタイルの演奏となりました。共に素晴らしいものでしたがミッキーらしさが際立ったのは27日の方だったかと感じました。




年末に慌ただしくフランスに帰国しますが留学を終えて又皆さまとご一緒出来る機会を楽しみにしていると話しておりました。

又来年も楽しいライブをご一緒しましょう。
ジャズライブを聴く会
世話人 海老原政徳

2016年12月24日土曜日

落語を楽しむ会

12月15日(木)に開催。
暫くぶりの会でしたが5名の参加(当初8名でしたが3名が所用のため不参加))で新宿末廣亭の中席昼の部の途中から入場。夜の部の最初4番を楽しんで散会しました。
次回の日程は未定ですが、今回同様寄席巡りを考えております。             
『新宿末廣亭前にて』
一色昭吾

2016年12月22日木曜日

2016年のテニス同好会打ち納めと納会

2016年の打ち納めと納会
12月21日、早いもので今年の最終日となり、初めての試みとして紅白戦を行いました。
12人が参加し、6名づつにわかれてのチーム戦です。ダブルスのペアリングと出場の順番
は各々のキャプテン(平尾/下島)が事前に決定し試合開始後の変更は許されません。
1試合のゲーム数は3ゲームとし、合計9試合=27ゲームで、取得ゲーム総数(試合の勝利数
ではなく、取得ゲーム数で争う)で勝ち負けを争うルールとしました。従い、キャプテンとしては
ペアリングと試合出場の順番をどうするかから、戦いが始まるわけです。(蓋をあけるまで、
誰がどんな相手との対戦になるかわかりません)
紅組(平尾チーム)
白組(下島チーム)
(試合の経過)
第4試合を経過した時点では、平尾チームが
7-5でリード、第5試合は下島チームが2-1で取り追いつくかに思われますが、第6ゲームを平尾チームが3-0でとり、11-7と断然優位に立ちます。
しかしながら、諦めない下島チームも第7試合を3-0で、更に第8試合を2-1で取り12-12の振り出しにもどします。
(試合の結果)
運命の第9試合(最終試合)です。ゲームカウント1-1から、下島チームがゲームを取り、なんと14-13という本当に僅差での決着となりました。

(試合前の写真を見ますと、平尾チーム=上段に比べ下島チーム=右側の結束のよさ?がみられませんか。勝敗はこの辺りの差がでたのかしら)



試合終了後は近くのレストランにて昼食をとりながら(勿論アルコール付き)、試合結果の発表も兼ねて、納会を行いました。この季節にしては暖かい天候にも恵まれ、試合中の盛り上がりを持ち込んでの納会となり楽しい打ち納めとなりました。

来年も引き続き楽しくプレーしていきたいとおもいますので、よろしくお願いいたします。
                                                   幹事:下島

2016年12月17日土曜日

第18回ボウリング大会 結果報告

第18回ボウリング大会が12月13日(火)18:45~東京ボウリングセンターにて開催されました。
今回は梅川さん・斎藤(守)さん・清水(範)さん・三澤さん・渡邊さん(斎藤さん・清水さんは表彰式・会食には参加して頂きました)が欠席され、総勢6名での少人数での大会となりました。 
第18回ボウリング大会参加の皆さん

今回は、松原さんが1game目はno missそして2game目は4thを記録するなど、HDCP制を全く問題にせず久し振りの優勝(Total Pin 414, HDCP 22, Net 436)に輝きました。準優勝は平尾さん(304 plus 72 Net 376)、そして第3位には1game目が良かった伴野さん(212 plus 132 Net 344)がなりました。


プレー後の表彰式兼忘年会



2位から6位までが85Pin差でしたが、毎回最新の成績を基にしたHDCPの適用により参加者は誰でも入賞の可能性を秘めている大会になって来ています。



尚、第19回大会は3月14日(火)に開催されますので、皆様奮ってご参加下さい。

2016年12月12日月曜日

冷蔵庫・洗濯機 クリーニング最終日

児童養護施設卒業生に贈る冷蔵庫・洗濯機 クリーニング最終日。

今日は冷蔵庫6台、ひとりの方が急に来られなくなったので、プラネットカナール運営会員の阿部さんと鈴木で3台ずつ受け持ちました。

これで冷蔵庫12台も全て完了。

皆さま、ありがとうございました!!

残りの家電や家具は小さいものが多いですが、1月中旬以降に平日・土日で行います。皆さまに事前にご案内しますので、ボランティアに参加したいという方はご連絡ください。場所は武蔵境か三鷹です。

ボランティアの会
世話人 鈴木邦明
kunisuzu@spn6.speednet.ne.jp
090-7198-5141

2016年12月11日日曜日

冷蔵庫・洗濯機の事前クリーニング3日目。


児童養護施設卒業生に贈る冷蔵庫・洗濯機の事前クリーニング3日目。

今日のボランティアは武蔵野三田会会長の梅川さんと監事の紀陸さん。まさにLead by Exampleですね。

今日も2階の“緑町カフェ”は日差しいっぱいでした。

お陰様で冷蔵庫12台すべてクリーニング完了、洗濯機は半分の6台が残るだけです。

1月や2月にもボランティア作業があります。3月には贈呈式とあわせて児童養護施設訪問ツアーがあります。関心のある方は下記までお問い合わせください。

ボランティアの会
世話人 鈴木邦明
kunisuzu@spn6.speednet.ne.jp
090-7198-5141

2016年12月10日土曜日

児童養護施設卒業生に贈る冷蔵庫・洗濯機の事前クリーニング2日目

今日も暖かい2階の“臨時カフェ”で休憩できました。ボランティアは武蔵野三田会の役員 中野さんと三澤さん、それと鈴木。

冷蔵庫の内部は天然のキッチン用除菌アルコールをスプレーして、冷蔵庫の外部と洗濯機の内部外部は環境・体に優しい万能のSWIPEをスプレーして、キッチンペーパーで拭き取ります。内部が結構汚れている冷蔵庫が1台ありましたが、見違えるようにきれいになりました。

しつこい汚れは濃いSWIPEに変えマイクロファイバークロスやメラニンスポンジで拭き取ります。上面が汚れていた冷蔵庫もきれいに。

ベランダに置いてあった洗濯機が1台あり、上面だけが汚れいて、なかなか綺麗にならず少し苦労しましたが、これも大分綺麗に。

今日も一人2台ずつ完了しました。
ボランティアの会
世話人 鈴木邦明
kunisuzu@spn6.speednet.ne.jp
090-7198-5141

冷蔵庫・洗濯機の事前クリーニング@保管場所 1日目

昨日は児童養護施設卒業生に贈る冷蔵庫・洗濯機の事前クリーニング@保管場所 1日目。

ボランティアは武蔵野三田会 事務局長の平尾さん、プラネットカナール運営会員 中根さん、鈴木。冷蔵庫か洗濯機を2台ずつ担当し、予定通り完了しました。ありがとうございました。

暖かい日だったので、二階窓側の“臨時カフェ”で、窓を開けて休憩をとることができました。

ボランティアの会 世話人
鈴木邦明
kunisuzu@spn6.speednet.ne.jp
090-7198-5141

2016年12月7日水曜日

冷蔵庫・洗濯機の事前クリーニング

幹事会で「ボランティアの会」から、児童養護施設卒業生に贈る冷蔵庫・洗濯機の事前クリーニング・ボランティアをお願いさせていただきました。

出席者には「ボランティアの会」のメンバーが少なく急なお願いにもかかわらず、会長はじめ、事務局長、会計幹事など、役員の方々が積極的に参加してくださるそうです。

2時間半3回ぐらいを想定していて.毎回4人ぐらいで廻していきます。女性のプラネットカナール会員が1人参加することになっているので、あと各回ひとりぐらいずつです。下記の日時に参加ご希望の方は「ボランティアの会」世話人の鈴木邦明までご連絡ください。三鷹駅改札集合か緑町 現地参加で、作業は冷蔵庫・洗濯機に洗剤をスプレーし拭き取る掃除です。冷蔵庫の内部はアルコールスプレーにより除菌クリーニングです。ひとり冷蔵庫2台か洗濯機2台をご担当いただきます。

①12月9日(金)午後13:00~16:00
②12月10日(土)午後13:00~16:00
③12月11日(日)午後14:00~16:00
④12月12日(月)午後13:00~16:00

1月後半の残りの贈呈予定品クリーニングや2月末の配送準備のボランティアの予告もさせていただき、3月12日の贈呈日に木更津の児童養護施設 野の花の家での贈呈式参加をお願いしました。東京駅からアクアライン経由のバスツアーにしたいとお話すると良い反応でした。

ボランティアの会 世話人 鈴木邦明
kunisuzu@spn6.speednet.ne.jp
090-7198-5141

2016年12月4日日曜日

散策の会 「お茶の水~池之端周辺」

11月8日(火)に、お茶の水から池之端周辺を散策しました。
当日は、天気も良く、9名で楽しく散策してきました。

ニコライ堂

シアから日本に渡り正教伝道を行いつつ聖堂を竣工
ニコライ堂
させた聖ニコライの名前を採ってニコライ堂と呼ば
れていますが、正式名称は「東京復活大聖堂」といい、
日本正教会の首座主教座教会です。

聖ニコライは最初に函館で伝道していましたが、1872
(明治5)9月に神田駿河台にあった定火消の役宅を購入して
東京の新拠点としたとのことです。聖堂は石造りの重要
文化財の中では一番古いものとのことで、実施設計は
ジョサイヤ・コンドルだそうです。
(旧岩崎邸の設計者もジョサイヤ・コンドルです。)


湯島聖堂


川5代将軍綱吉が儒学の振興を図るため元禄3年(1690)に創建し、大成殿と名付けた廟殿(孔子廟)その他の建物を含めて全体を「聖堂」と呼び、翌年には林家(儒学者;林羅山の林家)の家塾も、ここに移したことが始まりとのことです。

この場所には、幕府直轄の学校である昌平坂学問所、現在の東京国立博物館の前身である博物館、筑波大学の前身の東京師範学校・東京高等師範学校やお茶の水女子大学の前身の東京女子師範学校・東京女子高等師範学校などが設置されるなど近代教育発祥の地でもあります。

孔子像前にて
関東大地震で入徳門と水屋を残して全て焼失しましたが、昭和10年に鉄筋コンクリート造りで再建され、昭和61年に補修工事が始まり平成53月に竣工しました。なお、現在の大成殿には孔子とその孫(子思)、孔子の門人、儒学の伝承者である孟子の5体の像が安置されています。また、聖堂の境内には大きな孔子像とその前に「(かい)の木(学名;とねりばはぜのき うるし科)」があるが、この木は中国の孔子の墓所に植えられている楷の木の種から育てられたとのことです。楷の木の枝葉は整然としているので書道の楷書の語源になったといわれています。



 
神田明神

式名称は「神田神社」であり、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・築地魚市場など108の町の総氏神で、神田祭で有名です。

神田明神の祭神は、大己(おおな)(むち)(のみこと)(大黒様)、少彦名(すくなひこなの)(みこと)(恵比須様)、平将門命の3柱。

社伝では、天平2年(730年)武蔵野国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が大己(おおな)(むち)(のみこと)を祖神として祀ったことに始まるとしているそうです。

神田明神
神田は、もとは伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で神田の鎮めのために創建された「神田の宮」と称していたようです。

承平5年(935年)の平将門の乱で敗死した将門の首が神田明神の近くに葬られたが、嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行り、これが将門の祟りとされ供養が行われ延慶2年(1309年)に神田明神の(あい)殿(どの)(しん)となったとのことです。

江戸時代に現在地に遷座され江戸総鎮守として尊崇された。神田祭は、日枝神社の山王祭・富岡八幡宮の深川祭と並んで「江戸三大祭」の一つで、山車は将軍上覧のため江戸城に入ったため「天下祭」といわれています。

明治天皇が行幸するに際して逆臣である将門が祀られている処へは行けないということで将門が祭神から外され境内の摂社(せっしゃ)に遷され、代わりに茨城の大洗磯前神社から少彦名(すくなひこなの)(みこと)が勧請されたが、戦後になって昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰したとのことです。尚、境内には野村胡堂の創作した銭形平次捕物控の主人公である銭形平次の碑があります。

湯島天神(湯島天満宮)


鏡花の「婦系図」や梅の名所として有名ですが、湯島天神は、亀戸・谷保の天神様と並んで江戸・東京における代表的な天満宮(関東の三大天神)です。祭神は天之手
(あめのた)力雄(ぢからおの)(みこと)と菅原道真公です。

社伝では、雄略天皇2年(458年)に雄略天皇の勅命によって天之手(あめのた)力雄(ぢからおの)(みこと)を祀る神社として創建され、南北朝時代の正平10年(1355年)に住民の請願で菅原道真を勧請して合祀したとのことです。江戸期には徳川家の崇敬を受け多くの学者・文人が訪れている。また一方で享保期には富籤の興業が盛んになり庶民に親しまれた(谷中の感應寺<現在の天王寺>、目黒不動の滝泉寺と並んで「江戸の三富」の一つだそうです。)。



麟祥院


春日局の墓
光公の乳母として知られる春日局の開基による寺で、              寛永元年に隠棲所として創建された。春日局の法号は
「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」で、家光がこの法号を
寺号にするよう命じたため「天澤山麟祥院」となったとの
ことです。


麟祥院
なお、春日局の墓石及び台石には穴が穿ってありますが、これは死んでも天下の政道を見守るために黄泉から見通せる墓を作ってほしいという遺言に基づくものとのことです。

また、明治20年(1887年)には、井上円了が、この寺の境内の一棟を借りて哲学館(東洋大学の前身)を創設したので、「東洋大学発祥の地」の碑もあります。

旧岩崎邸・庭園
旧岩崎邸

菱の創設者である岩崎家の本邸で
ジョサイヤ・コンドルの設計。当時は
15,000坪の敷地に20棟以上の建物があった
そうですが、現在は洋館(岩崎家の迎賓館)、
和館(岩崎家の生活の場)、撞球館(校倉造の外観)の3棟と庭園で1/3しか残っていない。なお、撞球館は洋館と地下で繋がっている。
戦後、GHQ接収されたが、昭和27年に返還
された。返還後は敷地の中に司法研修所等が
建設され敷地が1/3になってしまったとのことです。なお、現在は都立公園となっています。
また司法研修所の建物は関東財務局の東京事務所などになっています。

GHQ接収時代は、キャノン機関(諜報機関
)の本部になっており、彼等が夜中に酔っぱ
らって拳銃を撃ったなどの逸話があります。
                                                                                                                                                     


月の松
寛永寺、清水観音堂

都の清水寺を模した舞台造りのお堂で寛永8年
1631)に天海大僧正によって建立された。
「月の松」という松の枝が円を描くように丸く調整
されている松があり、広重の「名所江戸百景」にも
描かれており、現在150年ぶりぐらいに復活しています