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2016年7月10日日曜日

散策の会「谷中散策」 結果報告


5月に実施予定でしたが、雨のため延期していた谷中散策、梅雨の時期に入ったため心配していたのですが、大した雨にもならず16名という団体で楽しく散策できました。(6月23日開催)
散策ルートに従って見学したところをご紹介しておきます。


大黒山(きょう)(おう)(
福澤先生のウエーランド経済書講読でなじみ深い上野戦争(慶応4年)の時に敗れた彰義隊の一部がこの寺に逃げ込んだため新政府軍の攻撃を受け、その弾痕が山門に幾つも残っていました。結構厚い板なのに貫通しているのに驚きました。なお、本堂の隣にある大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られており旧谷中七福神の一つだそうです。 


夕やけだんだん

日暮里駅方面から谷中銀座に下る坂の階段で、段数は36段、長さは15m程度ですが階段上から谷中銀座を見下ろす風景が有名で、夕焼けの絶好スポットと言われています。また猫―飼い猫・野良猫を問わず―が多く居るので「夕やけにゃんにゃん」などとも呼ばれているようですが、最近の観光客の多さに猫も出歩かなくなっているのでしょうか、1~2匹しか見えませんでした。
 

谷中銀座 
60軒余りの店舗が両側に並ぶ全長200m程度の商店街です。夕やけだんだんの上から眺める谷中銀座の風景は、ほとんどの人が一度はTVや雑誌で見たことがあると思います。食べ物屋さん、小間物屋さんなど小さいけれど個性的な店舗が沢山ありました。今回は皆さんのお行儀が良くてメンチカツ・コロッケなどの食べ歩きはしていませんでした。
 

須藤公園(区立公園
江戸時代、加賀藩の支藩である大聖寺藩主の屋敷跡(下屋敷)で、人工の滝、池など地形を立体的に構成して遊歩道をめぐらせた庭園になっています。なお、どうゆう訳か池には「かっぱに注意」の立札がありました。棲んでいるのでしょうかね?







森鴎外記念館
鴎外の旧居「観潮楼」の跡地に建てられた記念館。観潮楼は鴎外が30歳の時(明治25年)から60歳(大正11年)で亡くなるまで家族とともに住んでいた家で2階から海が見えたといわれています。現在の建物は、平成24年に竣工したもので、今回は鴎外の妹(翻訳家・小説家の小金井喜美子)、妻(小説家の森志げ)、娘(小説家・随筆家の森茉莉、随筆家の小堀(あん)())の森家の女性達について特別展が開かれていました




高光山大円寺
本堂の右に薬王院、左に経王殿と二連式の堂を持つ珍しい形のお寺です。右側には「(かさ)(もり)(笠森)稲荷(文字通り疱瘡など皮膚病や腫物にご利益があるとされています)」、左側に「日蓮上人」を祀っています。彫刻類が大変立派でした

境内には文学博士の笹川臨風による「お仙と春信の顕彰碑」と永井荷風の「笠森阿仙之碑」がありました。春信(鈴木)は、江戸明和期の絵師で特に美人画で有名。この春信が描いた美人画で有名なものが、笠森稲荷神社前の水茶屋「鍵屋」の看板娘で江戸三大美人といわれた「お仙」です。江戸時代、谷中には、この大円寺と福泉院に二つの笠森稲荷があったことからこの碑が立っているわけです。

 

 
なお、鍵屋は福泉院の前にあったという説もありますがこの福泉院は廃寺になり、跡地には現在「功徳林寺」が建てられおり、ここにも笠森稲荷神社が祀られています。散策の途中、功徳林寺の前を通りましたので遠目から、おまいりしました。


普門山全生庵 
幕末の三舟(海舟・鉄舟・泥舟)の一人であり、母方の祖先に塚原卜伝を持ち剣・禅・書の達人として知られる山岡鉄舟が、幕末・明治維新の際に国事に殉じた人々の菩提を弔うために建立したお寺です。山岡鉄舟の墓はもちろん、名人落語家の初代円朝や童謡「叱られて」、「春よ来い」、「浜千鳥」等の作曲家弘田龍太郎の墓も在ります。このお寺は円朝の遺した幽霊画50幅、明治・大正の名筆観音画百幅を所蔵し、8月には円朝忌の落語会や幽霊画が一般公開されるそうです。


蓮葉山妙智院観音寺
このお寺は築地塀の上に更に屋根瓦を重ねて造られた長さ40m近い土塀が有名です。また、赤穂浪士の近松勘六行重、奥田貞右衛門行高の兄弟が当山の和尚と兄弟であったことから浪士達の密談の場所にも使われたようで赤穂浪士の供養塔が建てられていました。




東叡山浄名院
寛文6年(1666年)の創建で5代将軍綱吉の母親の菩提所でもあります。

84千体の石造り地蔵菩薩像を発願して増やし続けており、一種異様なすごい眺めです。

過去には何度かこの数を達成していると言われていますが、風雨にさらされて破損するなどして現在は約25千体だそうです。

なお、ここには江戸六地蔵の第六番(深川にあったが廃寺になった永代寺に祀られた地蔵菩薩)の代仏があります。また、旧暦815日の「へちま供養」には、せき・ぜんそくに効験を願う人で賑わうとのことです。



谷中墓地
谷中墓地と通常いわれていますが、正式には都立谷中霊園の他に寛永寺墓地、天王寺墓地が含まれており、徳川慶喜、鳩山一郎、横山大観、渋沢栄一、長谷川一夫など有名人の墓地があります。徳川慶喜など徳川家のお墓は寛永寺の墓地に属するとのことです。


天王寺(前身は富籤で有名な感応寺)が東京都に寄進した五重塔が幸田露伴の小説「五重塔」のモデルになったのですが、1957年(昭和32年)放火心中事件で残念ながら焼失してしまい跡地だけになっていました。


 




なお霊園から日暮里駅に向かう道に天王寺があり、ここの大仏様にも、おまいりしました。





谷中には、今回は立ち寄れなかった朝倉文雄の朝倉彫塑館、岡倉天心記念公園、大名時計博物館などもありますが、歩いてみると道々にある商店・寺院など興味を呼ぶものが沢山ありました。

 

今回の散策の途中にも、講談社発祥の地(現在講談社の社宅)、





 明治の画家下村観山の墓、








 

 

狩野芳崖の墓や
 

   鉄舟と義理の兄弟になる高橋泥舟の墓
   などがあり立寄ってみることができました。
 








文中の由来等は、wikipedia、マイナビ、各ホームページ、猫の足あと、現地の由来書等を参考にしました。文中に誤りがある場合は筆者の責任です。

                                                                        

寄稿者 : 梅川芳宏 (S37 法)
 
 
 


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