高円寺と国分寺には、実際にその名前がついたお寺が在るが武蔵野市最大の街である吉祥寺には、その名前のついたお寺はない。
吉祥寺山門栴檀院の額がかかっている |
境内には二宮尊徳の墓碑、榎本武揚や水野忠邦が実施した天保の改革時の南町奉行で甲斐守でもあり、‘妖怪(耀甲斐)’と悪評の高い鳥居耀蔵(当時の北町奉行はTVでお馴染みの遠山金四郎で、後に南町奉行となる)、日本の造船の父と呼ばれる赤松則良(娘が森鴎外の妻、後に離婚)の墓や順天堂大学・日本医科大学による供養碑もある。
「八百屋お七」の話にはいろいろな説があるが、スタンダードな説によれば、大店の八百屋が火事で焼け出され、吉祥寺に避難した折に娘のお七が寺小姓の吉三郎と恋仲になり、自宅に戻っても吉三郎に会いたい一心で、火事になればまた逢えるのではないかと自宅に放火し火炙りの刑に処せられたというものである(円乗寺に文京区が建てた立て札が2本あるが、面白いことに、それぞれ異なった説が書かれている)。
お七、吉三郎の比翼塚 |
吉祥寺には、お七・吉三郎の比翼塚があり、また近隣には、お七に縁のある寺院として円乗寺(文京区白山1-34-6)と大円寺(文京区向丘1-11-3)がある。また目黒の行人坂にも縁のある大円寺(目黒区下目黒1-8-5)がある。
八百屋お七の3基の墓 |
円乗寺には住職がお七の菩提を弔って立てたお墓を真ん中に歌舞伎の初代岩井半四郎が建立したお墓と円乗寺近隣の人々が建てた三基のお墓が並んでいる。
大円寺(文京区)には、お七の罪業を救うために熱した焙烙(素焼きの浅い土鍋)を頭にかぶり自ら灼熱の苦しみを受けたお地蔵様(頭痛・眼病・耳・鼻の病など首から上の病気に霊験あらたかなお地蔵様として有名)が祀られている。また幕末砲術家の高島秋帆や小説家であり樋口一葉を終生助けた斉藤緑雨の墓がある。
目黒行人坂の大円寺には、吉三郎が建立した「お七地蔵尊」がある。吉三郎はお七の処刑後、僧(西運)となり諸国を行脚し、大円寺の下にある明王院(現在の雅叙園の場所)に入ってお七の菩提を弔うため往復10里の道を浅草観音まで夜から明け方にかけて鉦をたたき念仏を唱え隔夜日参り、1万日の行を27年5ヶ月かけて成し遂げ、お七が夢枕に立って成仏したことを告げたのでお七地蔵尊を造ったといわれている。なお、雅叙園の入り口には西運が体を清めた井戸があり、雅叙園脇の目黒川にかかる太鼓橋は西運が、そもそも架けたものと聞いている。
大円寺の焙烙地蔵 |
なお、お七は鈴ヶ森の刑場(現在の品川区南大井---京浜急行 の大森海岸駅近く)で処刑されたので、近くの密厳院(八幡山密厳院祈念寺)には、お七の3回忌の供養のために建立された2mを超える地蔵菩薩がある。
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