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2026年5月6日水曜日

「奥多摩むかし道を歩く その2」へのお誘い

 

「奥多摩むかし道を歩くその(奥多摩湖から惣岳辺り?まで)」を、

                                                                                  一緒に歩きませんか?

 2026422()の「奥多摩むかし道を歩く その」に続き、511()には、奥多摩駅からバスで奥多摩湖まで行き、そこから奥多摩駅方面に向かって下ります。

 本来は、前回のスタート地点だった惣岳を今回のゴールにするつもりでしたが、「むかし道」から惣岳バス停に行くには、かなり急な階段を上らなくてはなりません。急な階段を上ることを回避する為、現時点では、どこをゴールにするか思案中です。幸い、この連休中に、奥多摩町がJR東日本とタイアップして「奥多摩セラピーウォーク」を開催するので、そのウォークに参加して、下見してこようと考えております。その結果、どのバス停から戻るかを決める予定です。

参加して下さる皆様には、事前にメールでその結果をお知らせいたします。

前回ご参加下さった方々はもちろん、初参加の方も大歓迎ですので是非ご検討ください。今回のコースは、前回に比べさらに登山らしい行程になると思われます。

今回も、時間が読めないので、行動食としてお握りやパンなどを必ずご持参ください。

歩き終わった後は、奥多摩駅2階のカフェでビールや軽食を味わうこともできます。

         

開催日時:2026511() 

集合場所:JR吉祥寺駅中央線下りホームの進行方向一番前

集合時間:8:20 (8:28発青梅行に乗り、青梅駅で9:23発の奥多摩行に乗り換え、

10:07に奥多摩駅に到着。奥多摩駅から10:15発「丹沢山村役場行」バスで、

スタート地点の奥多摩湖に10:35に着きます)

服装: 歩きなれた靴・帽子・暑くなるかもしれないので調節が可能な服装

持ち物:行動食のお握り・パン ・飲み物・お持ちならストック・雨具

解散時間:16:00

     (解散後、吉祥寺の「ビアホール戎」での反省会だけの参加も大歓迎です)

 ご参加申し込み:59()までにお願いいたします。


連絡先:ハイキング同好会世話人 渡部 明子 TEL 090-6135-5358  or  0422-46-2550 

                             watanabeag@aol.com  or  indielove@ezweb.ne.jp

「奥多摩むかし道を歩く その1(惣岳から奥多摩駅まで)」の結果報告



     「奥多摩むかし道を歩く その1(惣岳から奥多摩駅まで)」の結果報告


2026年4月22日(水)、参加者7人が吉祥寺駅に集合し出発しました。8:28発の青梅行が遅れていて、乗り継ぎ時間がぎりぎりの青梅駅9:23発に間に合うか、かなり気をもみましたが、青梅線が出発を遅らせて待っていてくれたので、無事乗り継ぐことができました。奥多摩駅にはほぼ定刻通りに到着し、10:15発の「丹沢村役場行」バスに乗ることができました。

                                                                        奥多摩むかし道の中間点「惣岳バス停」で下車して、いよいよ今日の歩きの始まりです。ただ、惣岳バス停で降りたのは私達だけ、なんだかひどく心細い気分。「奥多摩むかし道」に続く道を探して、バス停横のガードレールの切れ目から下をのぞくと、いきなり長くて急な下り道が姿を現しました。落ち葉で埋もれて歩きにくい急坂を皆で恐る恐るゆっくり下り、惣岳の不動尊の横を通って、やっと鳥居が立つ「奥多摩むかし道」に何とか無事降り立つことができました。

                       

ほっとしたのもつかの間、まずは、一度に渡れるのが2人だけという惣岳渓谷に掛かる「しだくらつり橋」を目指します。参加者全員、順番に2人ずつつり橋をおっかなびっくり渡りました。橋の真ん中は揺れが想像以上に激しくまっすぐ歩くのが難しいほど。歩みを止めて恐る恐る下をのぞくと、激しい流れの左右に美しい新緑が広がっていました。


「しだくらつり橋」のスリルを十二分に味わった後は、来た道を戻り、スタート地点の惣岳の不動尊前で記念写真に収まりました。



途中、耳神様・弁慶の腕抜き岩などを見ながら、次のスポット、白髭神社を目指します。

弁慶の腕抜き岩

長い急な階段を上って、白髭神社の社にたどり着きました。

                          
                             白髭神社の大岩

白髭神社では、社の石段に皆で腰かけ、お昼をいただきました。よく考えれば、神様にお尻を向けて座るとは、なんだかすごく申し訳ない気がしましたが、きっと許して下さるかと?お昼を食べながら、お喋りにも花が咲き、すっかり長居をしてしまいました。



 道すがら見つけた美しい花々



途中で見かけた線路は、かつて小河内ダムの建設資材を運ぶために使われていた旧国鉄の貨物線、小河内線の廃線跡で、1950年代に施設されましたが、ダム完成後は一度も営業運転することなく廃止されました。




 

小河内線の廃線跡を過ぎしばらく進むと見えてきた73段の急な階段がある羽黒三田神社は、階段を上らずに下からお参りし、ゴールの奥多摩駅を目指しました。






歩きの終わりは、奥多摩駅の2階にあるカフェで、完歩を祝してクラフトビールで乾杯。
「奥多摩むかし道」は、新緑の山の中を歩くすがすがしいハイキングとなりました。
いつもよりハードなコースを、何とか無事歩き終えたことにひたすら感謝です。

吉祥寺に戻ってからの「ビアホール戎」での反省会には、新たに3人が加わって、楽しい会となりました。参加して下さった皆さま、ご協力本当にありがとうございました。


2026年4月28日火曜日

散策の会:桜と芝桜の花見と重要文化財「岩淵水門」の散策 結果報告

27回散策の会

桜と芝桜の花見と重要文化財「岩淵水門」の散策

今回は北区にある「岩淵の桜と芝桜の花見」と荒川と隅田川の分岐点に造られている国の重要文化財指定を受けた水門を散策する計画を立て11名の参加を得て2026年4月5日(日)に実施しました。

9時30分吉祥寺駅からJR中央線で四谷駅へ向かい、地下鉄南北線に乗換へて赤羽岩淵駅に到着。

散策の第一歩として先ずは大満寺と正光寺に向かいました。

大満寺: 薬王山瑠璃光院大満寺 真言宗智山派 明暦元年(1655年)開山

門前には草鞋を手に持ち、それを旅人に差し出して人助けをする「手わらじ地蔵」が迎えてくれました。我々の散策も無事に実施できるようお願いしました。なお、境内には「四国八十八個所お手かざし処」があり、ここで四国の八十八個所の霊場遍路が出来るようになっており、みんなでお遍路をしてきました。なお、ご本尊は行基の作と伝えられる薬師瑠璃光如来だそうです。


正光寺: 天王山淵富院正光寺 浄土宗 鎌倉時代創建

境内が綺麗に整備されており桜も大変綺麗なお寺で観音堂には源頼朝が守り本尊にしていたという観音様が祀られていました。なお、「大観音」の石標が建っており高さ10mの観音像が建立されていました。



二つのお寺を桜を見ながらお参りし、荒川に向かう途中に「岩淵宿問屋場跡」の碑が立っていました。ここ岩淵は鎌倉時代には鎌倉から奥州に通じる街道が荒川を渡る地点であり宿場町としても栄えており、江戸期には将軍が日光へ参拝するときの「お成道」にもなっていたとのことです。「岩槻街道」とか「日光お成道」と呼ばれ、岩淵はこの街道の最初の宿場で宿泊・荷物の輸送・伝馬役など問屋場としての役目を務めていたとのことです。


10分ほどで新荒川橋に到着ですが堤防の西側からは延々と満開の桜並木が続きますが、東側が見えたとたん、そこには堤の上には桜並木が続き、斜面には芝桜絨毯が広がる風景が待っていました。全員の第一声が「ワー綺麗」でした。桜と芝桜を背景に自転車を走らせる人、ジョギングをする人家族ずれの人など沢山の人が休日を楽しんでいました。また市民のマラソン大会も開かれていたので我々も見物かたがた写真を撮るなど満開の桜と絨毯のような芝桜を見ながらゆっくりと英気を養いました。



英気を取り戻していよいよ水門に向かいます。途中の河川敷には枯山水のような景色があったり臨時のようでしたがバーベキュウをしているところありました。
花見をしながらバーベキュウの昼食は最高ですね。



いよいよ荒川と隅田川の分岐点に造られた赤水門・青水門に到着です。

水門が造られたいきさつは次のようなものでした。
荒川は名前の通り昔から氾濫を繰り返したため江戸時代においても治水が試みられてきたが、明治43年(1910年)に大洪水があり東京の下町に大きな損害を発生させた。此のため明治44年(1911年)から幅500m、全長22㎞におよぶ人工的な排水路(荒川放水路)が建設された。そして岩渕に水門を設け洪水時には水門を閉め本流の増水を抑え大部分の水を放水路に流すようにしました。この岩淵水門、(赤い色から通称「赤水門」と呼ばれる)は大正5年(1916年)から大正13年(1924年)にかけて建設されました。
その後昭和40年(1965年)に河川法が改正され荒川放水路は「荒川」と呼ばれることとなり、旧荒川を「隅田川」と呼ぶようになりましたが、この赤門は完成後最大2m以上の地盤沈下や左右岸の不等沈下・水門の高さ不足などがあり全面改築されることになり、300mほど下流に新しい岩淵水門を昭和49年(1974年)に着工し昭和57年(1982年)に完成させた。新しい水門は青く塗られているので「青水門」と呼ばれています。


赤水門について

赤水門は、役目は終わりましたが周囲人々の要望もあり記念碑ないし観光施設的な要素も含めて保存され、平成21年には荒川放水路と共に近代化産業遺産であり国の重要文化財として認定されています。なお、赤水門は9m幅のゲート5門(昭和35年に通船のため5番ゲートが改築された。)で水門の上は橋として開放され中之島(荒川赤水門緑地)に渡ることが出来るようになっていますので後述のように島に渡ってみました。




洪水の水位を示すポールについて

赤門の近くにポールが立っていましたが、これは昭和2年(1927年)からの洪水の水位を示しています(上位7洪水を表しています)。一番水位が高くなったのは昭和22年(1947年)のキャスリーン台風時で8.60m、次いで昭和16年(1941年)の台風で8.27m、3番目が昭和33年(1958年)の狩野川台風で7.48m、最近でも5位に入っている令和元年(2019年)の7.17mがありました。ここの堤防の高さは12.5mですがこれを超えそうなぐらいの水位ですから恐ろしいです。

青水門について

青水門は、10m幅のゲート3門でできているが200年に一回の洪水にも耐えられるよう造られているそうです。また、この水門の閉鎖に関しては、通常の閉鎖に要する時間は約45分だが手動による閉鎖では30日かかるため最悪の場合に備えて自家発電装置や電源が無くても門扉の自重で降下させることが出来る装置がついているそうです。



中之島(荒川赤水門緑地)には

中之島にわたる手前の岸辺に「摂政宮殿下御野立ち跡」という石碑がありました。これは荒川放水路通水後の様子を当時摂政宮であった昭和天皇がこの場所で視察を行ったことの記念碑です。中之島には荒川リバーアートコンテスト特賞のオブジェ青野正氏作「月を射る」「草刈りの碑」という面白い碑がありました。これは、日本は農業国であり農業は国の根本・農業の根本は草刈りと堆肥であるということで昭和13年から19年にかけて全日本草刈選手権が開催されたことの碑だそうで、都道府県の予選を勝った者(予選には全国で4万人も参加)が同じ鎌を使用し同じ面積の土地で、制限時間1時間で刈った草の量と刈った後の美しさを競ったものだそうです。優勝賞品は牛1頭だそうです。戦争で中止になり戦後は開催されていないとのことです。

水門を見学した跡荒川知水資料館を見学しました。ここは荒川の洪水や水害の歴史・治水事業の紹介や荒川の生き物などの自然環境に関する展示がなされていました。国土交通省と北区が運営していて平成10年(1998年)に開館したそうです。事務所でマンホールカードを無料配布していたので皆さん記念に頂いてきました。

1時近くなったので昼食のためレストランに向かいます。途中で「岩淵八雲神社」に御参りしました。この岩淵八雲神社の創建は不明とのことですが昔から岩淵宿の鎮守として敬われているそうです。御祭神は須佐之男命です。なお、境内には「水神社」「岩淵町名存続の碑」(昭和37年の住居表示に関する法律によって全国的に由緒ある名前が消えていく中で地名存続運動をつづけて存続できたことを記念したもの)がありました。この地域の人々の「岩淵」という町名への愛着の強さを感じさせられました。

昼食は「大衆肉ビストロLit」という肉とパスタの店です。皆さんの注文は6対4位で肉!ビールとワインも入って賑やかに楽しく美味しい食事でした。今回はこの食事で解散です。帰りはJR赤羽駅から帰路につきました。 
お疲れさまでした!



スナップ写真

 大満寺にて





正光寺にて





荒川堤の桜と芝桜



















お昼に向かいます




文および写真一部 平尾会員、三澤会員撮影写真を含む):散策の会会員 梅川芳宏(1962法)