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2025年4月16日水曜日

散策の会:実施報告

 武蔵野三田会散策の会(第24回) 

映画「男はつらいよ」で知られる葛飾柴又帝釈天を散策しましょう!!


古くは葛西と呼ばれた現在の葛飾の名前を聞くと「渥美清の寅さん」を思い出す人も多いのではないでしょうか? 今回はその寅さんの生まれ故郷である葛飾柴又の「帝釈天」へ奇しくもお釈迦様の誕生日である4月8日に訪れることにしました。

薄ら寒い日が続く中で幸い春を感ずることができる好日に14人が吉祥寺駅に集まり出発です。
中央線お茶の水で総武線へ、浅草橋から都営地下鉄で京成高砂へ、京成高砂から京成金町線で柴又へ と一寸した長旅でした。

まずはスタートの柴又駅に降り立ち、駅前の広場にある「旅に出かける寅さん」と それを「見送る妹のさくら」の像がありましたので我々も集合写真を撮りました。幸い現地の観光案内の方(?)がシャッターを押してくれました。駅前には復活された柴又用水、庚申祭りでしられる帝釈天らしい三猿の像、寅さん関係者の記念碑などを見ることが出来ました。

帝釈天に行く前にこの土地に古くからある土地神様の柴又八幡神社(葛飾区柴又3-30-24 御祭神 誉田別命 建御名方命)を参拝することにしました。

この神社の創建は不明ですが「柴又」という土地が正倉院文書に「島俣里」としてでてくることから、古くまで遡ることが出来るとされているようです。またこの神社の社殿は6世紀後半に造られたと見做される古墳(直径30~40mの円墳)の上に建っており、発掘した折には遺体安置の石室や埴輪・直刀・馬具・須恵器などが見つかり遺骨は社殿背後の「島俣塚」に収められているとのことでしたので見学してきました。なお、この古墳から平成12年(2001年)の渥美清の命日である8月4日に帽子をかぶった寅さんスタイルの埴輪が出土され話題になったことがありました。また入り口に立派な松があり、「鳳凰の松」の碑がありますが由来は不明のようでした。なお、葛飾区教育委員会の説明書きによれば、柴又は土地がやや高く、昔から水の利用に苦労したとかで用水路などに関する碑(区有形文化財)や農耕に関する碑(区有形民俗文化財)などがありました。

土地神様への参拝も終わり、いよいよ帝釈天へ向かいます。ここの参道は昔ながらの姿を留めた参道で、道の左右にお団子、葛餅、あめ、漬物、うなぎ、お蕎麦、仏具、民芸品などの商店がずらりと並んで賑わっていました。この景色は平成30年に都内で初めて国の重要文化的景観に選定されています。



葛飾柴又帝釈天(経栄山題経寺 日蓮宗、葛飾区柴又7-10-3 彫刻・庭園拝観料; 400円)
江戸初期の寛永6年(1629年)に創建され柴又帝釈天の通称を持っているが日蓮宗のお寺です。日蓮宗ですから、このお寺の本尊は帝釈天ではなく帝釈堂の隣にある祖師堂に安置されている日蓮上人が書いたと伝わる板本尊(大曼荼羅)です。この本尊は片面の中央に南無妙法蓮華経のお題目が書かれてその両脇には法華経の経文が書かれ、もう一面には右手に剣を持ち左手を開いた憤怒の相をした帝釈天が画かれているそうです。実は、この板本尊が一時行方不明になったが庚申の日に発見されたことからお寺の縁日は庚申の日とされたことから、当時(江戸時代)盛んになっていた庚申信仰と相まって人気の高いお寺になっていたようです。庚申信仰以外にも江戸の町が都市化するにつれ自然が豊かだった柴又のノスタルジックな風景をめでることも楽しみだったのではないかと想像されています。また、このお寺は「彫刻の寺」とも呼ばれており山門をはじめ各建物に多くの彫刻が施されています。このお寺の見所として挙げられているのは、お寺の入口である①「山門(増長天・広目天の二天を安置し二天門と呼ばれている)」、②帝釈堂前の「瑞龍松」、③「帝釈堂の彫刻ギャラリー」、④「邃渓園と呼ばれ渡り廊下で回遊できる約2000㎡の池泉回遊庭園」、⑤手水舎の「御神水」などです。

二天門:日光の陽明門に似た形態をしており、前面・裏面ともに見事な彫刻が多く施されています。彫刻は彩色されていないことは使用されている木材の質が良いということだそうです。彫刻に猿が刻まれているのは猿が帝釈天のお使いであることと関係があるようです。右側の増上天・左側の広目天も見事な仏像でした。
瑞龍松都の天然記念物に指定されていて、想像の龍のようにうねうねと長く素晴らしい一本松です。
御神水:帝釈天が法力で湧かせた御神水で、映画では寅さんの名セリフの中に「帝釈天で産湯をつかり」とあるので寅さんの産湯はこの御神水という設定になっているようです。

彫刻ギャラリー:帝釈堂内殿の正面扉に十二支の動物が彫られていますが、外側には全面浮彫の装飾彫刻が施されています。この彫刻は法華経の世界を欅の一枚板から彫り出されており日本の宗教画とも云えるようです。また彫刻は10人の彫師によって彫られたにも拘らず、作風がバラバラにならず、それぞれ繋がっており、あたかも一人の彫刻家によって彫られたように見えます。関東大震災の直後にこれだけの板(縦1.27m、横2.27m、厚さ20㎝)、10人の彫刻師を集め作成したことは驚かさられます。
 この装飾彫刻は上段に干支、中段に法華経の世界、下段に動植物などが彫られています。下段にある「波」の表現を見ると葛飾北斎の波の表現に似ていることに気づかれると思いますが、江戸時代に千葉にいた波を彫らせたら日本一いわれ「波の伊八」と称され葛飾北斎にも影響を与えたと云われている天才的な彫刻の名人の弟子たちが彫っているようですから頷けるものがありました。

邃渓園東京都の名勝に指定されています。 約2000㎡の広さを持つ寺院庭園で大正年間に作庭されたようです。その後大幅に手が加えられ、ほぼ現在の姿になったのは昭和40年(1965年)だそうです。もともとは総檜造りの大客殿から眺める座観式庭園だったが昭和35年(1960年)に大回廊が建てられ広縁を通って回遊することが出来るようになっており東西に長い敷地の庭園で北側半分が池泉、北西に築山、北東に中島を配し築山の頂部から二段落ちの瀧が配置されているそうです。

邃渓園の鑑賞に入る大回廊の入り口の左側欄間にちょっと面白い彫刻がありました。人が乗っている車両を人間が押して動かす人車鉄道の彫刻です。これは明治邃渓園の鑑賞に入る大回廊の入り口の左側欄間にちょっと面白い彫刻がありました。人が乗っている車両を人間が押して動かす人車鉄道の彫刻です。これは明治30年に常磐線が敷設され金町駅が開通したことから金町駅を利用する帝釈天の参拝者が増えたため明治32年に金町・柴又間1.5㎞に敷設されたとのことです。到着までどのぐらい時間がかかったのでしょうかね?また大回廊を巡る途中に大客殿のお座敷にある横山大観の屏風や樹齢1500年を超える大きな南天の床柱を見ることもできました。
なお、当日はお釈迦様の誕生日ということで境内において「甘茶」が供されていましたのでお相伴させていただきました。
また参道で最近ではほとんど見ることができない稚児行列も見ることができラッキーな一日でした。



引き続き創立が大同元年(806年)と柴又で最も古いお寺で柴又八幡神社の別当寺でもあった石照山真勝院(真言宗豊山派 葛飾区柴又7-5-28 本尊は不動明王)を訪ねました。このお寺の境内には万治元年(1660年)柴又村の名主によって建立された葛飾区指定有形文化財となっている五智如来の石仏があります。五智如来とは密教の言葉で、真言宗最高の仏である大日如来の知恵を五つに分け、これを石仏に当てたもので薬師如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来になります。なお、柴又七福神では弁財天になるそうです。

いよいよ昼食です! 予約した中華料理店「福圓」に向かいます。お座敷に造られた掘りごたつ式の長テーブルの予約席に二組に分かれて昼食を楽しみました。

記念館・ミュージアム前で記念撮影
お腹も膨れたところで葛飾柴又寅さん記念館・山本洋次ミュージアム (入場料;一般500円、 65歳以上400円)を訪ねました。寅さん記念館は映画「男はつらいよ」の世界を幾つものコーナーに分けて紹介されており撮影に使った「くるま屋」のセット、タコ社長の「朝日印刷所」のセットがあり、実物の衣装・小道具なども見ることが出来ましたし、帝釈天で見た人車鉄道の客車もありました。また山本洋次ミュージアムでは「男はつらいよシリーズ」の原作・脚本・監督を務め葛飾区の名誉市民であり更には文化勲章も受賞した山本洋次氏の数々の作品や映画造りの思いを9のテーマで綴られていました。また、ミュージアムにはTORAsan caféもありましたが今回はスキップです。記念館は屋上庭園風に江戸川の堤防と繋がっており矢切の渡し(当日は風が強く運航中止)がある河川敷も一望でき土手の桜も堪能しました。

記念館の見学を終えお隣の山本亭(葛飾区柴又7-19-32 入館料;100円)に洒落た長屋門を通って向かいました。山本亭のある場所は関東大震災までは柴又村庄屋の鈴木家が瓦工場を営んでいた(帝釈天の瓦は当工場の製品だそうです)が震災後に浅草でカメラの部品製造工場の創業者山本栄之助氏が取得し洋風の長屋門やステンドグラスの窓を持つ鳳凰の間(この部屋に入って見学することは不可)など和洋複合の当時といては珍しい二世帯住宅を建て、庭も池泉・築山・瀧などを設けた書院庭園を造った。東京都の歴史的建造物に指定されています。また庭園はアメリカの日本庭園専門誌などで常に上位を占めているそうです。コーヒーや和菓子セットなども楽しめましたのでそれぞれに一服しました。山本亭を最後の本日の散策会は解散になりましたが、それぞれ参道の商店でお土産のお団子・御煎餅などを購入し、往路とはコースを変えバスでJR小岩駅に出て総武線で帰路につきました。春好日の散策も無事終了することができました。お疲れ様でした!






旅に出る「寅」と見送る「さくら」



          

                               

          
                  



寅 ちゃん
妹 さくら

渥美清奉納の常夜灯

「生まれも育ちも~」寅ちゃんの名セリフ
再現した用水路と三猿
帝釈天参道を背に柴又八幡神社へ

◆柴又八幡神社

       柴又八幡神社


八幡神社の古墳から出た遺骨の墓
昔の柴又「島俣」
柴又用水路の碑










帝釈天・・

山門(二天門)
広目天(山門左)
増長天(山門右)



                              帝釈天内殿の彫刻三体

瑞龍松
境内で供された「甘茶」
二天門(裏面)




 「帝釈天の庭園「邃渓園」


◆お昼

お昼ご飯 待ってます~
結果⇒ 完食です! 食欲ありますね


◆記念館:ミュージアム

寅さんが館名の看板を取り付けています
人動鉄道の客車が再現されていました



記念館の屋上は江戸川の堤に直結
矢切の渡しはここから









◆山本亭

山本亭の長屋門
洋風の応接室
和風の客間

山本亭の庭園
ちょっと一服

                   



文および写真(一部 平尾氏ほか撮影):散策の会会員 梅川芳宏(1962法)





 

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