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2026年4月28日火曜日

散策の会:桜と芝桜の花見と重要文化財「岩淵水門」の散策 結果報告

27回散策の会

桜と芝桜の花見と重要文化財「岩淵水門」の散策

今回は北区にある「岩淵の桜と芝桜の花見」と荒川と隅田川の分岐点に造られている国の重要文化財指定を受けた水門を散策する計画を立て11名の参加を得て2026年4月5日(日)に実施しました。

9時30分吉祥寺駅からJR中央線で四谷駅へ向かい、地下鉄南北線に乗換へて赤羽岩淵駅に到着。

散策の第一歩として先ずは大満寺と正光寺に向かいました。

大満寺: 薬王山瑠璃光院大満寺 真言宗智山派 明暦元年(1655年)開山

門前には草鞋を手に持ち、それを旅人に差し出して人助けをする「手わらじ地蔵」が迎えてくれました。我々の散策も無事に実施できるようお願いしました。なお、境内には「四国八十八個所お手かざし処」があり、ここで四国の八十八個所の霊場遍路が出来るようになっており、みんなでお遍路をしてきました。なお、ご本尊は行基の作と伝えられる薬師瑠璃光如来だそうです。



正光寺: 天王山淵富院正光寺 浄土宗 鎌倉時代創建

境内が綺麗に整備されており桜も大変綺麗なお寺で観音堂には源頼朝が守り本尊にしていたという観音様が祀られていました。なお、「大観音」の石標が建っており高さ10mの観音像が建立されていました。



二つのお寺を桜を見ながらお参りし、荒川に向かう途中に「岩淵宿問屋場跡」の碑が立っていました。ここ岩淵は鎌倉時代には鎌倉から奥州に通じる街道が荒川を渡る地点であり宿場町としても栄えており、江戸期には将軍が日光へ参拝するときの「お成道」にもなっていたとのことです。「岩槻街道」とか「日光お成道」と呼ばれ、岩淵はこの街道の最初の宿場で宿泊・荷物の輸送・伝馬役など問屋場としての役目を務めていたとのことです。


10分ほどで新荒川橋に到着ですが堤防の西側からは延々と満開の桜並木が続きますが、東側が見えたとたん、そこには堤の上には桜並木が続き、斜面には芝桜絨毯が広がる風景が待っていました。全員の第一声が「ワー綺麗」でした。桜と芝桜を背景に自転車を走らせる人、ジョギングをする人家族ずれの人など沢山の人が休日を楽しんでいました。また市民のマラソン大会も開かれていたので我々も見物かたがた写真を撮るなど満開の桜と絨毯のような芝桜を見ながらゆっくりと英気を養いました。



英気を取り戻していよいよ水門に向かいます。途中の河川敷には枯山水のような景色があったり臨時のようでしたがバーベキュウをしているところありました。
花見をしながらバーベキュウの昼食は最高ですね。



いよいよ荒川と隅田川の分岐点に造られた赤水門・青水門に到着です。

水門が造られたいきさつは次のようなものでした。
荒川は名前の通り昔から氾濫を繰り返したため江戸時代においても治水が試みられてきたが、明治43年(1910年)に大洪水があり東京の下町に大きな損害を発生させた。此のため明治44年(1911年)から幅500m、全長22㎞におよぶ人工的な排水路(荒川放水路)が建設された。そして岩渕に水門を設け洪水時には水門を閉め本流の増水を抑え大部分の水を放水路に流すようにしました。この岩淵水門、(赤い色から通称「赤水門」と呼ばれる)は大正5年(1916年)から大正13年(1924年)にかけて建設されました。
その後昭和40年(1965年)に河川法が改正され荒川放水路は「荒川」と呼ばれることとなり、旧荒川を「隅田川」と呼ぶようになりましたが、この赤門は完成後最大2m以上の地盤沈下や左右岸の不等沈下・水門の高さ不足などがあり全面改築されることになり、300mほど下流に新しい岩淵水門を昭和49年(1974年)に着工し昭和57年(1982年)に完成させた。新しい水門は青く塗られているので「青水門」と呼ばれています。


赤水門について

赤水門は、役目は終わりましたが周囲人々の要望もあり記念碑ないし観光施設的な要素も含めて保存され、平成21年には荒川放水路と共に近代化産業遺産であり国の重要文化財として認定されています。なお、赤水門は9m幅のゲート5門(昭和35年に通船のため5番ゲートが改築された。)で水門の上は橋として開放され中之島(荒川赤水門緑地)に渡ることが出来るようになっていますので後述のように島に渡ってみました。




洪水の水位を示すポールについて

赤門の近くにポールが立っていましたが、これは昭和2年(1927年)からの洪水の水位を示しています(上位7洪水を表しています)。一番水位が高くなったのは昭和22年(1947年)のキャスリーン台風時で8.60m、次いで昭和16年(1941年)の台風で8.27m、3番目が昭和33年(1958年)の狩野川台風で7.48m、最近でも5位に入っている令和元年(2019年)の7.17mがありました。ここの堤防の高さは12.5mですがこれを超えそうなぐらいの水位ですから恐ろしいです。

青水門について

青水門は、10m幅のゲート3門でできているが200年に一回の洪水にも耐えられるよう造られているそうです。また、この水門の閉鎖に関しては、通常の閉鎖に要する時間は約45分だが手動による閉鎖では30日かかるため最悪の場合に備えて自家発電装置や電源が無くても門扉の自重で降下させることが出来る装置がついているそうです。



中之島(荒川赤水門緑地)には

中之島にわたる手前の岸辺に「摂政宮殿下御野立ち跡」という石碑がありました。これは荒川放水路通水後の様子を当時摂政宮であった昭和天皇がこの場所で視察を行ったことの記念碑です。中之島には荒川リバーアートコンテスト特賞のオブジェ青野正氏作「月を射る」「草刈りの碑」という面白い碑がありました。これは、日本は農業国であり農業は国の根本・農業の根本は草刈りと堆肥であるということで昭和13年から19年にかけて全日本草刈選手権が開催されたことの碑だそうで、都道府県の予選を勝った者(予選には全国で4万人も参加)が同じ鎌を使用し同じ面積の土地で、制限時間1時間で刈った草の量と刈った後の美しさを競ったものだそうです。優勝賞品は牛1頭だそうです。戦争で中止になり戦後は開催されていないとのことです。

水門を見学した跡荒川知水資料館を見学しました。ここは荒川の洪水や水害の歴史・治水事業の紹介や荒川の生き物などの自然環境に関する展示がなされていました。国土交通省と北区が運営していて平成10年(1998年)に開館したそうです。事務所でマンホールカードを無料配布していたので皆さん記念に頂いてきました。

1時近くなったので昼食のためレストランに向かいます。途中で「岩淵八雲神社」に御参りしました。この岩淵八雲神社の創建は不明とのことですが昔から岩淵宿の鎮守として敬われているそうです。御祭神は須佐之男命です。なお、境内には「水神社」「岩淵町名存続の碑」(昭和37年の住居表示に関する法律によって全国的に由緒ある名前が消えていく中で地名存続運動をつづけて存続できたことを記念したもの)がありました。この地域の人々の「岩淵」という町名への愛着の強さを感じさせられました。

昼食は「大衆肉ビストロLit」という肉とパスタの店です。皆さんの注文は6対4位で肉!ビールとワインも入って賑やかに楽しく美味しい食事でした。今回はこの食事で解散です。帰りはJR赤羽駅から帰路につきました。 
お疲れさまでした!



スナップ写真

 大満寺にて





正光寺にて





荒川堤の桜と芝桜



















お昼に向かいます




文および写真:散策の会会員 梅川芳宏(1962法)


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