2019年7月5日(金)に実施、11名が参加しました。
心配された雨も降らず、快適な気温の下先ず殿ヶ谷戸庭園を会員のみで散策し、松原幹事アレンジのレストランでワンドリンクサービス付き昼食を楽しんだ後、国分寺市認定史跡ガイドの天野さんに案内頂き散策を楽しみました。
心配された雨も降らず、快適な気温の下先ず殿ヶ谷戸庭園を会員のみで散策し、松原幹事アレンジのレストランでワンドリンクサービス付き昼食を楽しんだ後、国分寺市認定史跡ガイドの天野さんに案内頂き散策を楽しみました。
殿ヶ谷戸庭園
七夕短冊 願い事 |
次郎弁天の池 |
お鷹の道・真姿の池
武蔵国分寺跡の説明(天野史跡ガイド) |
湧水源 |
武蔵国分寺・国分尼寺
国分寺仁王門にて |
国分寺仁王門 |
武蔵国分寺 中門跡 |
伝鎌倉街道
鎌倉時代の幕府所在地と各地を結ぶ主要道路の一つです。当時は武蔵国を通過する以前の東山道武蔵路と道筋が重なる「上の道」と呼称されていた主要道路で、鎌倉から町田・府中を経て武蔵国分尼寺の西側・小平を通り群馬・長野方面に延びる道ですが、現在はなかなか味のある約120mの切通しが伝鎌倉街道として残っています。
東山道武蔵路跡(古代の道路の遺構)
七世紀に律令制が確立され、それに伴って行政区画も整備されて五畿七道が設置された。この「道」制度によって畿内の五国以外の国は所定の「道」に属すことになった。またそれぞれの国の国府を結ぶ同名の官道が建設された。武蔵国は当初東山道(近江国から美濃・飛騨・信州を経て今の群馬・栃木・東北の地域が属する)に属したため道としての東山道から離れた処にあることになります。そのため、武蔵国の国府に繋がる道として東山道武蔵路が造られたそうです。道幅が12m両側に側溝もある直線道路で今でも広い道路に入ると思います。なお、後に武蔵国は東山道から離れ東海道に移管された(771年)ため東山道武蔵路は官道から外されたそうです。
註:五畿(「畿内」ともいう)大和・山城・摂津・河内・和泉の五国、
七道:東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・ 南海道・西海道
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