東京に住んでいると「目黒」とか「目白」という名前には馴染みがあります。しかし、「目黒」とか「目白」という名前で思い出すのは、目黒はお不動様であり、目白は学習院や日本女子大、椿山荘といったところではないでしょうか。
実は、「目白」という名のお不動様もあります。従って「目黒」あるいは「目白」という名前も、これらのお不動様に由来しているのではないでしょうか。
それでは、黒と白しかないのかというと、江戸には風水でもお馴染の「陰陽五行説」に由来する黒・白・赤・黄・青の五色のお不動様(江戸五色不動)があります。
このお不動様(不動尊・不動明王)は密教の中心的な仏様で、大日如来の化身だそうです。
大日如来は宇宙のすべてを司る中心的な存在なので、あまりに崇高なため直接拝むのは恐れ多いので化身の不動明王を拝むようになったとのことです。
従って不動明王を拝むということは、宇宙の中心に向って拝むことであり自らが宇宙の中心に溶け込み宇宙と一体になるという思想だそうです。
江戸五色不動は徳川三代将軍家光が、大僧正天海の建言により江戸の結界をつくる不動尊を選び、江戸城五方の法難除け、五街道(東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道)の守護に当てたといわれています。ただし、江戸の川柳に「五色には二色たりない江戸不動」というのがあるそうですから結界は後の世になって目黄、目青を加えて作りあげられたのかもしれません。
目黒不動尊(東急目黒線不動前駅下車徒歩10分)
関東最古の不動霊場だそうです。家光公が、この地で鷹狩を行ったときに鷹が行方不明になり、不動尊に祈願したところ鷹が松の木(鷹居の松---何代目か分かりませんが現存しています)に戻ったので、不動尊の力を尊信し祀ったそうです。
鷹居の松 |
目黒不動尊 |
権八・小紫の比翼塚 |
なお、境内に入る手前左側に、歌舞伎などでお馴染の「(白井)権八・小紫」の比翼塚があります。
目白不動尊(都電荒川線学習院下駅下車徒歩5分)
目白不動尊 |
境内に入ると正面に大きな堂宇があるが、これは慈眼寺の聖観音菩薩が祀られており、目白不動尊は山門北側の2階建ての上に立つ不動堂に祀られています。
丸橋忠弥の墓 |
なお墓地には徳川家綱公(第4代将軍)の時に発生した由井正雪の乱(幕府転覆の陰謀)の関係者である槍の名人丸橋忠弥(鈴ヶ森刑場で処刑)の墓などがあります
目赤不動尊(地下鉄南北線本駒込駅下車徒歩3分)
目赤不動尊 |
開山の万行律師は熱心な不道明王の信仰者で、夢のお告げで伊賀国(三重県)の赤目山に行き山頂で祈願すると天から一寸二分の黄金の不動明王の像を授かりました。
その後江戸に出て現在地付近に庵をむすび不動明王を安置し多くの参拝者があったとのことです。家光公が鷹狩に訪れたときに、それまで赤目不動と呼ばれていましたが、目黒不動・目白不動に因んで目赤不動と呼ぶように命じ大聖山東朝院の号を与えたそうです。
後に上野寛永寺の末寺となり南谷寺の寺号も与えられたとのことです。近くには、樋口一葉の師であり恋人でもあった半井桃水の墓もあります。
目青不動尊(田園都市線三軒茶屋駅下車徒歩5分)
伝承では、目青不動は慈覚大師円仁の作といわれているとのことですが秘仏で公開されていません。不動明王は明治15年に六本木にあった観行寺が廃寺になったことに伴って本尊の不動明王と前立の不動明王像が現在の最勝寺に遷されたとのことです。
境内には小田原藩大久保氏、萩野山中藩大久保氏、鳥山藩大久保氏など大久保氏の歴代藩主の墓があります。
目青不動尊 |
大山道の道標 |
「三軒茶屋」の由来は、江戸期に現在の交差点に「角屋」、「石橋屋」、「田中屋」という三軒の茶屋があったことからですが、世田谷には下馬、上馬とか駒留八幡社、駒繋神社など「馬」に関した名称や史跡が多いようです。
目黄不動尊(地下鉄日比谷線三ノ輪駅徒歩3分)
目黄不動尊 |
目黄不動尊は、調べてみると実は、三ノ輪の養光山永久寺だけでなく、総武線平井にある牛宝山明王院最勝寺と外苑前の青山高校の近くにある古碧山龍巌寺と3か所もありました。
どの目黄不動尊が五色不動に該当するのかよくわかりませんでしたが、古碧山龍巌寺は関係者以外立入禁止なので、今回は三ノ輪の養光山永久寺のお不動様をお参りしてきました。
文中の由来等は、wikipedia、マイナビ、各ホームページ、猫の足あと、現地の由緒書等を参考にしました。文中に誤りがある場合は筆者の責任です。
寄稿者 : 梅川芳宏 (S37 法)
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