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2019年6月10日月曜日

寄稿【色男「白井権八」と男伊達「幡随院長兵衛」の史蹟を訪ねて】


歌舞伎に観る 
  色男「白井権八」と男伊達「幡随院長兵衛」の史蹟を訪ねて

 江戸時代の刑場として有名な鈴ヶ森(現在の品川区南大井2丁目付近)は、歌舞伎では幡随院長兵衛と白井権八の出会いの場としても有名です。白井権八が見事な剣の腕前で、言いがかりをつけた雲助十数人を斬り捨て、立ち去ろうとするのを駕籠の中から見ていた幡随院長兵衛が「お若けえの、おまちなせ~」と呼びかけ、権八が「待てとお止めなされしは拙者でがざるかな」と応える有名な掛け合いで始まり、「お若けえ方の御手のうち、あまり見事と感心いたし、思わず見とれておりやした」の長兵衛の褒め言葉に「雉も鳴かず討たれまいに、益なき殺生をいたしてござる」と言う掛け合いになるようです。
歌舞伎の白井権八は、腕が立つだけではなく、大変な色男で、吉原の大店三浦屋の遊女「小紫」と恋仲になるヒーローとして描かれていますが、そのモデルとなった人は、平井権八といい、鳥取藩士で、父親の同僚である本庄助太夫という人を殺して江戸に出奔し、江戸では、馴染みの遊女小紫との遊びの金を手に入れるため辻斬り130余名に及んだといわれている悪人のようです。チョットがっかりですね。
権八は、一時期「普化宗(虚無僧)」の東昌寺に身を潜め、尺八を修め、虚無僧となって郷里の鳥取を訪ねたが、父母も死去していたことから江戸に戻って自首し、品川の鈴ケ森の刑場で磔・獄門にされたとのことです。また、歌舞伎のような幡随院長兵衛との出会いは、幡随院長兵衛(1622~1657)と白井権八(1655?~1679)とは、生きた時代が違うので、冒頭のような出会いは、ありえないことのようですが、ともに江戸庶民に人気が高かった人物の一種の英雄伝説として受け取れそうです。
浄閑寺の首洗いの井戸
なお、白井権八に討たれた本庄助太夫には息子(兄弟)がおり、敵討ちのため江戸に出てきて箕輪(三ノ輪)に家を借りて権八を探しましたが、兄が吉原田圃で権八に襲われ討たれてしまい、弟がその首を井戸で洗っているときに、その弟も討たれてしまったとのことです。弟が兄の首を洗った井戸が荒川区南千住の浄閑寺(別名「投げ込み寺」、吉原の遊女が死亡した際に、この寺に投げ込んで葬ったためつけられた別名)にあります。

権八・小紫の比翼塚
また、遊女の小紫は、権八の処刑の後、権八が一時期身を潜めた東昌寺(目黒不動尊の門前辺りに在ったようです。)の門前で自害をしてしまい、これを哀れんで建てた、「権八・小紫」の比翼塚が、いまも目黒不動尊(東急目黒線不動前)の門前に在ります。





鈴ヶ森には現在も処刑場跡が京浜急行大森海岸駅近くの大経寺の境内に残っており、磔の柱の台石や火炙りの刑の柱の台石なども残っています。
鈴ヶ森刑場跡
左の四角い石が礫の柱の台 右の丸い石が火炙の柱の台石 









なお、刑場の近くに磐井神社があり、その境内に鈴石(振ったり転がすと音がする)があったため「鈴ヶ森」と呼ばれるようになったとのことです。現在も磐井神社には鈴石や烏石と呼ばれる石があります。また、鈴ヶ森の刑場で火炙りの刑にあった八百屋お七の3回忌に供養のために建てられた2mもある振り袖姿のお七地蔵が祀られている密厳院も近くにある。



密厳院のお七地像
磐井神社
磐井神社の鈴石

一方の幡随院長兵衛は、江戸時代前期の町奴の頭領で日本の侠客の元祖とも言われている。
元は唐津藩の武士の子供とされているが、父の死後に江戸の幡随院(京都知恩院の末寺)の住職を頼って江戸に出てきて口入れ屋の娘と結婚し浅草花川戸で口入れ屋を営んでいたといわれている。旗本奴と男伊達を競い合う町奴の頭領として名を売るが明暦3年(1657年)に若い者の揉め事の手打ちを口実に旗本奴の頭領水野十郎左衛門に呼び出され殺害された。

芝居の「極付幡随院長兵衛」の筋書きでは、罠であることを勘付いていたが「怖がって逃げたとあっちゃあ名折れだ。
源空寺の幡随院長兵衛夫妻の墓
人は一代、名は末代」と啖呵を切って殺されるのを承知のうえ一人で水野の屋敷に乗り込み、酒宴でわざと衣服を汚され入浴を勧められて湯殿で裸のところを水野に襲われ殺されたことになっている。台東区東上野にある源空寺には幡随院長兵衛夫妻のお墓がある。なお、このお寺には伊能忠敬や画家の谷文晁などのお墓もあります。


谷文晁の墓
伊能忠敬の墓



水野十郎左衛門の墓






旗本奴の頭領水野十郎左衛門は、福山城主の孫で3,000石の旗本であり、旗本奴の大小神祇組(白柄組との説も聞いた。)の首領として無頼の生活を送っていたが、幡随院長兵衛の殺害などその所業が幕府に咎められ切腹させられた。水野十郎左衛門のお墓は中野区上高田の功運寺にある。なお、このお寺には吉良上野介のお墓と赤穂浪士と戦った吉良家の家臣の顕彰碑や今川義元の三男である今川長得、歌川豊国、林芙美子などの墓があります。
                         【寄稿】 梅川芳宏(S37法)

2019年6月2日日曜日

落語を楽しむ会 結果報告

2019年5月17日(金)におよそ2年半ぶりに開催。
前回の倍の10名が参加して、新宿末廣亭の中席昼の部の途中から入場。
昼の部の終わりまで約3時間半、落語・講談・漫才・紙切り・奇術を大いに楽しんで
現地にて散会しました。
令和元年(2019年)5月17日:落語を楽しむ会@新宿末廣亭にて

次回の日程は未定ですが、今回同様寄席巡りを考えております。
                     落語を楽しむ会世話役:一色昭吾(S29法)

2019年5月26日日曜日

【寄稿】招き猫発祥の地を訪ねて



招き猫発祥の地を訪ねてみました。

洋の東西を問わず雄の三毛猫は幸運を呼ぶといわれているようですが、巷では右手を挙げていれば金運を、左手をあげていれば人を招くと云われる招き猫があちこちの店舗に氾濫しています。
招き猫の色は白が一般的のように思われますが、赤・黒・青・ピンク・金などの色もあるようです。赤は病除け、黒は厄除け、青は交通安全や学業向上、ピンクは恋愛、金はお金ということだと聞いています。
また挙げている手の高さは高ければ高いほど遠くの幸運や客を招くようですし、右手を
挙げているのは雄猫、左手を挙げているのは雌猫とのことですが---。

ところで、招き猫というのは、どのような理由で云われているのでしょうか?
かねてから疑問に思っていたのでウィキペディアなどで調べてみると、東京に三つも発祥の地
があることが分かりましたので訪ねてみました。

大谿山豪徳寺(曹洞宗 世田谷区豪徳寺二丁目24-7)彦根藩井伊家の菩提寺

松並木が美しい豪徳寺参道
 本寺付近は世田谷城主吉良氏が居館としており、1480年
(文明12年)に吉良頼高の娘である弘徳院のために「弘
徳院」と称する庵を結んだのが本寺の始まりだそうです。






招き猫との由来は、江戸の初期彦根藩主井伊直孝が鷹狩の帰りに近くを通りかかる
桜田門外の変で有名な井伊直弼の墓
と寺の飼い猫が手招きするので寺で休むことにしたが、寺に入った途端に空が曇り激しい雷雨となった。直孝は縁起がいい、濡れずに済んだということで、これを縁にこの寺を井伊家の菩提寺にした。直孝の没後直孝の院号「久昌院殿豪徳天英居士」に因んで寺号を豪徳寺に改め「招猫観音」が祀られ招き猫伝承も広まったとのことです。また、直孝が寺の木の下で雨宿りをしていたら一匹の猫が手招きしたので近づいてみると先程雨宿りをしていた木に落雷がありこれを避けられたという別説もあるようです。



奉納されている招き猫
数えきれない程の招き猫が奉納されている豪徳寺の猫(招福猫児「まねぎねこ」)は右手を挙げているが左手に小判はない。これは武家所縁の招き猫なので金銭への執着を避けたとか、もともと招き猫は機会を与えてくれるが結果(=小判)までついてこない、機会を生かせるか否かは本人次第などの解釈があるようです。なお、彦根市の「ゆるキャラ:彦にゃん」はこの豪徳寺の猫がモデルとのことです。


今戸神社(台東区今戸一丁目5-22)浅草七福神の一つ・福禄寿

江戸時代に、この神社の界隈に住んでいた老婆が猫を飼い
拝殿に飾られた手の長い招き猫
可愛がっていたが、 貧しさのため飼い猫を手放すことになった。するとその猫が夢枕に現れ、自分の姿を人形にしたら福運を授かるというので、地元の今戸焼で猫の人形を作り浅草神社の境内で売ったところ大評判になりお金持ちになったという伝説があり今戸焼発祥の地とされる今戸神社招き猫のルーツということのようです。



なお、今戸神社には伊弉諾尊と伊邪那美尊の夫婦が祀られていることから縁結びの神社としても有名で、いつも若い女性が多くお詣りに来ています。また、この神社は、新選組の沖田総司の終焉の地としても有名です。主治医の松本良順の所で治療をしていたが薩長軍の江戸入りで危険になり総司を含めて患者を今戸神社に移したそうです。なお境内にある「石撫で猫」を撫でた後に携帯の待ち受け画面にして毎日祈ると願い事が叶うとのことです。


石撫で猫
今戸焼き発祥地・沖田総司終焉地の碑

西光山自性院無量寺(真言宗豊山派 新宿区西落合一丁目11-23)


弘法大師が日光山に参詣の途中で観音様を供養したのが自性院の草創のようです。
拝殿内の招き猫及び観音像

招き猫の由来は室町時代まで遡るようで、太田道灌が地元の豪族豊島氏と戦った「江古田・沼袋原の戦い(1477年-文明9年-)」において劣勢となり道にも迷ったとき、一匹の猫が現れ自性院に案内してくれた。これを機に戦いを有利に盛り返し危機を救われた道灌が猫の死後に猫地蔵を奉納した。


これがきっかけになり自性院が招き猫の寺として有名になったとのことです。
また、江戸中期に豪商が子供を亡くし、その冥福を祈るために猫地蔵を奉納したことが起源だとする別説もあるようです。

猫地蔵の碑
参道入り口の招き猫

なお、自性院の参道入口の門柱の上に大きな招き猫の石像が置かれています。招く手は左手で右手に小判を握っています。毎年節分の日に猫地蔵(秘仏)が開帳される猫地蔵祭があります。

                                     【寄稿】 梅川芳宏(S37法)

2019年5月21日火曜日

第31回ボウリング大会 結果報告

第31回ボウリング大会が5月14日(火)18:45~東京ボウリングセンターで開催されました。
残念ながら欠席者が多く総勢6名でしたが、それなりに活気のある楽しい大会となりました。


第31回ボウリング大会@東京ボウリングセンター:試合開始前の面々

今回は、First Gameが終わった段階では大混戦が予想されましたが、Second Gameで210を投げた松原さんが1年ぶりの優勝(Total pin 375 HDCP 22 After HDCP 397)を飾りました。
準優勝はコンスタントに120台を投げた清水さん(Total pin 242 HDCP 124 After HDCP 366)、そして連続優勝かなと思われた三澤さんが3位(Total pin 268 HDCP 68 After HDCP 336)になりました。

準優勝の清水さん(左)
試合を終え恒例の表彰兼懇親会
















次回第32回大会は2019年7月9日(火)に開催されますので、皆様奮ってご参加下さい。




2019年5月5日日曜日

令和最初のジャズライブを聴く会 報告


いよいよ新しい令和の幕開けに際し大連休の真ん中の昼下がり、5月2日(木)に令和最初のジャズライブを聴く会を開催しました。

祝!令和元年:大橋祐子トリオ
大橋祐子(P)、鉄井幸司(b)、高橋延吉(ds)

場所は初めて吉祥寺のライブの名門「音吉!MEG」、出演はMEGを代表する名ピアニスト大橋祐子トリオです。

30名が定員の狭い店内に武蔵野三田会メンバーが8名参加し、正統派ジャズとも言える素直な心に響くアドリブ演奏を楽しみながら令和を祝い大いに盛り上がりました。

大橋祐子も我々の席に来て親しく懇談し皆さんにお会い出来てとても楽しかったとのメッセージが届いています。

大橋祐子さんとジャズライブを聴く会メンバー8名

                              ジャズライブを聴く会 世話人 海老原政徳(S43経)