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2026年2月24日火曜日

「玉川上水を歩く その4」の結果報告

2026年2月16日(月)吉祥寺駅に参加者9名が集合し、今回のスタート地点である鷹の台駅に向かいました。途中の車内で鷹の台駅近くの津田塾大学キャンパス内に創始者津田梅子のお墓があることを知り行ってみることに。ただ、津田塾の学生の間では、生涯独身をとおした彼女のお墓をお参りすると、結婚できなくなるというジンクスがあるらしい。参加者の中にこれから結婚する予定がある人は一人もいなかったけれど、津田塾まで駅から15分弱掛かるので往復するのは時間的に無理があると考え、諦めました。                                                                                                    




出発点の「鷹の橋」から歩き始めると、玉川上水の北側を並行して流れる新堀用水には、主役であるはずの玉川上水より豊富な水がかなりの勢いで流れています。     

明治3年(1970年)に玉川上水に通船が許可され、玉川上水を船が行き来するようになりました。この新堀用水は、分水の整備の一環として、この時に玉川上水の北側に掘られたもので、千川上水までの計7つの分水口が設けられました。しかし、明治5年には、水質汚染が問題となり、通船は禁止となりまた。

                    

途中、朝鮮大学学校の横を通り、その整備された広大な施設に、参加者は一様に驚いた様子。立派なテニスコートを羨む声もあがりました。

小川橋を超えると、新堀用水の姿が消えて、その辺りに3メートル四方の鉄の柵で覆われた個所が数か所現れました。これは、新堀用水胎内堀跡とのこと。胎内堀は立坑を先に掘り、そこから横穴を掘っていき、つなげていく工法です。この写真は地下トンネルから流れ出る新堀用水です。















新堀用水はこの小平監視所で、玉川上水から分かれます。



玉川上水は1965年の東村山浄水場稼働に伴い、全域での上水道供給は廃止されたものの、羽村取水堰から小平監視所までの約12㎞は、現在も多摩川の水を東村山浄水場へ送る現役の水道原水導水路として活用されています。



歩き続けて約1時間、やっと玉川上水駅近くのレストラン・ヨネザワにたどり着きました。 私達と同世代のご夫婦が切り盛りするこの店は、長い年月地元の人たちから愛されているらしく、少々料理が出てくるまでに時間はかかりましたが、美味しい料理にみんな大満足。  手の込んだ料理に話が弾み、楽しく賑やかなランチとなりました。            ただ、どう考えても不思議なのが、クラフトビールの誘惑に誰一人負けなかったことです。


ランチの後、しばらく進むと右手に唐突にそびえる標高差15メートルの金毘羅山が現れます。この山は、玉川上水掘削の際に大量に出た土を積み上げたものと伝えられています。


           

途中すれ違った親切な青年に集合写真をお願いしました。少々強引な我々のお願いにも、嫌な素振りを全く見せずに、気持ちよく「チーズ」と言って写真を撮ってくれました。たぶん、我々の世代に合わせての「チーズ」だったのかと? とにかく感謝です。



玉川上水は、残堀川と交差する際、残堀川の下に設けられたトンネルを通って、互いの水が混じらない形(ふせこし(サイフォン工法))で交差しています。横の写真は、多摩川から流れてきた水が地下のトンネル取水口に流れ落ちる様子です。








無事、今日のゴール、西武立川駅にたどり着き、「玉川上水を歩く その4」は、完歩となりました。帰りは、拝島経由の方が早いという声もありましたが、Google検索の結果を信じて、小川駅経由、国分寺駅乗り換えで吉祥寺に帰り着きました。

「ビアホール戎」での反省会には、新たな参加者も加わり、歩き終えた安堵感も手伝ってか、皆さん杯を重ねるほどに、さらに饒舌になり、笑い声も高らかに、賑やかで楽しい雰囲気の中、長い一日が終わりました。

皆様、今回も長い歩きにお付き合い下さりありがとうございました。これからも一緒に沢山歩いて、沢山しゃべって、沢山笑って、そして、少したくさん飲んで、沢山楽しみましょう。

          次回は、3月18日(水)です。ぜひご一緒ください。


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