ご存知「八百屋お七」由縁の「吉祥寺」など駒込を散策
13人もの参加者全員の日頃の行いの良さでしょうか線状降水帯を伴う集中豪雨と梅雨入り寸前の僅かな晴れ間、6月5日(2023年)に実施できた駒込散策は無事に終了いたしました。
JR駒込駅に集合し先ずは日本を代表する桜である染井吉野桜の発祥の里を示す豊島区立記念公園に向かい、改めて江戸の人々の職人技に感心しました。
さ~あ、いよいよ散策開始です!先ずは六義園(文京区駒込6 都立庭園)です。
広大な六義園 |
富士山に見立てた塚を登る皆さん |
此処の富士塚は江戸の富士講の中でも有名な富士塚で、特に町火消の間で深く信仰されており境内には纏(マトイ)を彫った石碑が多く在ります。
余談ですが、縁起の良い初夢で有名な「一富士二鷹三茄子」は、この富士塚の周辺に鷹匠屋敷があったこと、また、この地は茄子が名物で富士塚の山開きの土産に駒込茄子が売られていたことに由来するとの説もあるようですから謹んでお参りしてきました。
ちょっと寄り道して東京都の指定史跡の駒込名主屋敷(高木家の屋敷、文京区本駒込3-40-3)を見学することにしました。
東京都指定史跡「駒込名主屋敷」 |
よく見ると亀ですね! |
社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が奥州の藤原泰衡を攻めるために向かう途中或る霊夢を見てこの地に立ち寄ったところ松の枝に大麻(伊勢神宮のお札)が掛かっていた。頼朝は、それを戦勝の前触れとして喜び天照大神をお祀りしたことが創建だそうです。他の神社ではあまり見たことのない亀石などがありました。
諏訪山吉祥寺(文京区本駒込3-19-17 曹洞宗 都心のお寺とは思えない広大な境内)
長禄年間(1457~60)、太田道灌が江戸城の築城して
いる時に、ある井戸から「吉祥増上」の文字が彫られた印(金印とも銅印とも云われている)が発見された。これを縁起として吉祥寺を創建した(今のパレスホテルのあたりに建てた)。その地が諏訪神社の社地であったことから山号を「諏訪山」とされた。その後江戸城の拡張に伴って今の水道橋辺りに移ったが明暦の大火(1657)によって焼失して現在地(駒込)に移った。武蔵野市の吉祥寺は駒込に移ってきた吉祥寺の門前が火除け地に指定されたため門前町の住人が移住させられ、新田開発をして旧名の「吉祥寺」を称したものです。また江戸期には境内に後の駒澤大学となる学寮「栴檀林(せんだんりん)」が創られ幕府の学問所「昌平黌」と並んで漢学の大研究地で常時1,000人余りの学僧がいたそうです。境内には江戸時代に建てられた精緻な彫刻が施された学僧の図書館「経蔵(きょうぞう)(現在修理中のようでシートがかけられ見ることが出来ませんでした)」があるほか二宮尊徳の墓碑、函館戦争で戦った榎本武揚・明治の小説家川上眉山・森鴎外の妻の実家赤松家などの墓や順天堂大学の供養塔などがありました。なお、天保の改革時の南町奉行鳥居燿蔵の墓もあるそうですが見つけられませんでした(この人は当時の北町奉行遠山金四郎に比べてあまり評判は良くなく、甲斐守の称号なので「妖怪(燿甲斐)」と悪口をたたかれています)。
吉祥寺には、もう一つ「八百屋お七と吉三郎」の話があり、「お七・吉三郎の比翼塚」があります。
本郷丸山の八百屋の娘お七は、天和2年(1682)の火事で家が焼け吉祥寺に避難していた。そこで寺小姓の吉三(あるいは吉三郎)と恋仲になるが家が新築されたので別れ別れになってしまう。お七はもう一度火事になれば恋しい吉三に会えると思い家に火をつける。放火の罪に問われたお七は鈴ヶ森の処刑場で火あぶりの刑に処せられるというものですが、実は「お七という娘が放火して処刑された」という以外は相手の名前・避難したお寺・ストーリーは色々あり、どれが本当のことかわからないのですが井原西鶴がお七の処刑から3年後に書いた好色五人女の中の話がほぼ上記の内容で、最も有名です。今回の散策では八百屋お七に関して、お墓のある圓乗寺とお七の供養をするほうろく地蔵のある大圓寺も尋ねました(後述)。
吉祥寺を出て直ぐに目赤不動尊(文京区本駒込1-20-20 天台宗 大聖山東朝院南谷寺)です。
比叡山の南谷にいた万行和尚(熱心な不動明王の信仰者)が或る夜夢のお告げで伊賀国(現在の三重県)の赤目山に行くように
焙烙地蔵尊 |
於七坂を下ります |
このお寺には住職が建てたお七のお墓を中央に、右に初代岩井半四郎が、お七を演じた縁で建てたお墓、左に近隣の有志が建てたお墓と三基のお墓が並んでいます。
いよいよ最後の散策地白山神社(文京区白山5-35-1 祭神は菊理姫命・伊弉諾命・伊弉冉命)です。天暦年間(947~957)の創建と古い歴史がある神社で、ここ「白山」
まずはご挨拶 |
境内に紫陽花が3,000株も植えられており「紫陽花まつり(今回の散策は残念ながら祭の前です)」もあり、その期間中は境内随一と言われる紫陽花の見所である本殿奥の富士塚に登ることもできるそうです。また境内に八幡太郎義家(源義家)が奥州征伐の途中に戦勝を祈願した際、旗をかけた桜の木(白旗桜)があり江戸三桜に数えら
れていた。天然記念物にも指定されていたが枯死してしまい現在は二代目の桜だそうです。
なお、ご利益は菊理姫命が縁結び・商売繁盛、伊弉諾命が安産祈願・子授け、伊弉冉命が長寿・子孫繁栄とのことです。
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