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2019年2月12日火曜日

【寄稿】「王子稲荷神社参詣」


王子稲荷神社の参詣に行ってきました

「王子の狐」いう落語があります。狐はよく人を化かすと云いますが、神田に住む男が王子稲荷に参詣の途中、昼寝をしている大きな女狐に出会い、逆に狐を化かしてやろうと考え「姐さん、こんなところで寝ていると風邪をひくよ」と声をかける。狐は慌てて美女に化け「日本橋に住む者だが王子稲荷に乳母と来たがはぐれてしまった」と云う。
男は「自分は神田だから送ってあげよう。ただお腹も空いているので食事をしていこう」と誘い料亭に入り酒を飲む。狐が酔って寝たところで男は土産を持って勘定は連れが起きたら払うからと帰ってしまう。料亭の女中がそろそろ勘定をと部屋に行くと頭と尻尾が正体を現した狐が寝ていたので怒って散々打ちのめす。
狐をだました男が年寄りに諌められ祟りを恐れて牡丹餅をもって謝りに行き、子狐に話を聞くと「母親が人間に騙され全身打撲と骨折の重傷だ」と云われたので、謝り牡丹餅を渡して帰ります。子狐が母狐に人間が謝りに来て牡丹餅をくれたので食べようと云うと母狐が「食べてはいけない。馬の糞かもしれない」というオチがつくものです。

装束榎の浮世絵
なぜ「王子(・・)」なのか疑問に思っていたのですが、調べてみると王子稲荷神社は関東稲荷神社総社(関東の稲荷神社の頭領的存在のようです)の格式を持つ神社で、大晦日の夜には近くにある大きな榎木の下に関八州の狐が集まり装束を整え王子稲荷神社に参殿したという伝承がありました。その際に見られる狐火の行列は壮観で近隣の農民は、その数で翌年の豊凶を占ったそうです。また、この榎木は「装束榎」と呼ばれ歌川広重の「名所江戸百景」の題材にもなっていました。


装束稲荷神社
この榎木は明治時代に枯死したようですが、その地には装束稲荷神社が残っており新しい榎木も植えられており現在でも大晦日には地元の人が催す大人数の「王子 狐の行列」が、この装束稲荷神社から王子稲荷神社まで練り歩くことが分かりました。




王子稲荷神社
王子稲荷神社の狐の穴跡
なお、王子稲荷神社には境内に「狐の穴跡」があり、これが落語「王子の狐」の舞台にもなっているようです。



折角王子まで来たので、併せて「王子神社」、「名主の滝公園」、ロマンを感じる「平井保昌の杉と和泉式部の梅」のある公園を訪ね、隣町である滝野川の「平塚神社・境内の平塚亭」なども訪ねてきました。

「王子神社」; 「王子」という地名の由来だそうです。北条氏、徳川氏が崇拝してきたようです。もともと「開運除災」の神社として崇敬されていたが春日局が当社に祈願して家光の将軍就任がかなった故事から「子育大願」の神社として初宮参りや七五三などにも御神徳があるということで賑っているようです。


名主の滝公園」; かつて「王子七滝」といわれ王子近辺は滝が多かったとのことでしたが現在は、この名主の滝しか現存していないとのことです。名主の滝も四つの滝から成っていますが訪ねたときは一つしか流れていませんでした。



杉と梅と句碑のある公園
「平井保昌の杉と和泉式部の梅」; 源氏の武士である平井保昌が源頼光・その四天王等と王子の地で昼食を取るときに箸の代わりに杉の小枝を使用し、「源氏が末永く栄えるなら枝葉をつけて繁茂せよ」と念じて地に挿したところ、後に王子の二本杉と云われる大木になったとのことです(この杉は台風で倒れたがその杉で造った扁額が飛鳥山博物館に保管されているとのことです。)。

保昌と和泉式部の句碑
保昌は後に丹後の守となり和泉式部と結ばれ丹後に赴任しており、和泉式部と結ばれる逸話として和泉式部が梅を愛し御所の紫宸殿の中庭の紅梅を所望していることを知った保昌が紅梅を献じて愛を射止めたというものだそうです。この逸話に因んで公園に句碑と杉・梅が植樹されています。



平塚神社拝殿
「平塚神社・境内の平塚亭」; 神社は平安後期の創建で源氏の八幡太郎義家奥州征伐の 凱旋時に当地を訪れ領主の豊島氏に鎧を下賜し、豊島氏は拝領した鎧を、塚を築いて埋め自分の城の鎮守としたことが起源のようです。なお塚は甲冑塚とか高さが低い塚ということから平塚と呼ばれたそうです。



平塚神社入り口
平塚神社の境内にある平塚亭
なお、平塚神社は境内の平塚亭と併せて小説家内田康夫氏の浅見光彦シリーズとTVのおかしな刑事シリーズでよく登場することでも有名で、浅見光彦や伊東四朗が平塚亭の緋毛氈が敷かれた椅子席で団子を食べる姿が出てきますが、実際にはイートインの施設はありません。
お土産に団子を買おうと思ったのですが既に売り切れていました。残念!また今度―――。

                           【寄稿】 梅川芳宏(S37法)

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