*渋沢栄一邸宅跡(江東区永代2-37)
*佐久間象山砲術塾跡(江東区永代1-15-2)
佐久間象山松代藩士で大砲の鋳造に成功し、西洋砲術家として名を轟かせていた。また蘭学を背景にガラスの製造なども行っていたとのことです。
佐久間象山砲術塾跡 |
此処には勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬、河井継之助、橋本左内などが入門した。因みに象山の妻は勝海舟の実妹順子である。
吉田松陰がペリー艦隊で密航を企て失敗する事件が起き、相談を受けていた象山も連座して伝馬町の牢屋敷に入獄、その後松代で蟄居させられたが元治元年(1864)一橋慶喜に招かれ上洛、公武合体と開国を説いたが河上彦斎(熊本藩士・勤皇攘夷派、幕末の四大人斬りの一人)等の手にかかって暗殺された。
*赤穂義士休息の地」碑(江東区佐賀1-7-1)
赤穂浪士休息の地 |
その宝井其角の門人で源吾とも交流のあった「ちくま(乳熊)味噌の竹口作兵衛」が討入りから引上げてくる浪士を自分の店に招き入れ甘酒をふるまったそうで、その休息の場の跡ということのようです。
なお両国橋の東側のたもとに源吾の「日の恩やたちまち砕く厚氷」という句碑があるようです、これに対する其角の返句は「月雪の中や命の捨てどころ」というものだそうです。
*紀文稲荷神社(江東区永代1-14)
紀文稲荷にて |
*深川えんま堂(賢台山法乗院賢法寺 真言宗豊山派 江東区深川2-16-3)
江戸三大閻魔の一つと云われている(三大閻魔には幾つか説があるようです。新宿太宗寺、西巣鴨善養寺、阿佐ヶ谷華徳院を三閻魔とする説が有力のようにも書かれていますが。)。
深川えんま堂 |
冥途では死後の人々は閻魔大王を中心とする十人の王によって裁きを受ける。十人の王は、本来は菩薩だが裁きの間は柔和な姿を隠し憤怒の身を現し三周忌に至るまで罪業を考査して未来の生まれ変わるところを定めるといいます。
伊能忠敬の住居跡 |
境内には曽我五郎の足跡石(日本三大仇討の一つである源頼朝の富士の巻狩りの際に起こった仇討事件の主人公の一人である曽我五郎が父の敵を討ち老母を背負い老父の墓に仇討の報告をしたときに残されたという言い伝えがあるとのことです。なお歌舞伎十八番の花川戸の助六は曽我五郎が侠客なって源氏の宝刀友切丸を探すという設定になっています。)があります。なお近くに伊能忠敬の住居跡があります。
黒船稲荷神社 |
*黒船稲荷神社(江東区牡丹1-12-9)
応徳3年(1080年)浅草黒船町(現在の蔵前)に創建され、現在地には享保17年(1733年)に遷座した。この境内には、東海道四谷怪談(主人公のお岩さんのお墓は西巣鴨の妙行寺にあります。)を書いた四世鶴屋南北の居宅があったとのことです。
*深川不動堂(成田山新勝寺の東京別院 江東区富岡1-17-13 真言宗智山派)
深川不動堂 |
当日は、僧侶による45分間の不動堂内無料案内も経験できました。
*富岡八幡宮(江東区富岡1-20-3)
富岡八幡宮にて記念撮影後、解散 |
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