恒例となりました年末の紅白戦(クラブメンバーを2チームにわけての対抗戦)を、11月24日、6中テニスコートで開催しました。
紅組メンバー |
白組メンバー |
白熱?の戦いの様子カナ |
そろい踏み(撮影:津嶋さん) |
試合終了後は、AZDINING(三鷹)にて久しぶりの楽しい昼食会も催しました。
世話人 下島 泉
第41回ボウリング大会が11月16日(火) 18:30~ 東京ボウリングセンターで開催されました。今回は、前回に引き続き初参加が1名にて総勢8名での大会となりました。
2021年11月16日於:東京ボウリングセンター(マスクを外して) |
今回も新型コロナウィルス感染症対策でマスクをしての息苦しいプレー、1レーン2名までという条件は不変でした。
1ゲーム目に162pinを投げた三澤さんが断トツの優勝かと思われましたが、結果としては優勝から3位までが1pin差づつで極めて白熱した大会でした。第37回大会の覇者三澤さんが優勝(Total pin 287 HDCP 90 After HDCP 377)、ダブルを2回出したが惜しくも1pin差で平尾さんが準優勝(Total pin 296 HDCP 80 After HDCP 376)、そして1pin差で松原さんが3位(Total pin 325 HDCP 50 After HDCP 375)となりました。
表彰式&懇親会 |
優勝の三澤さん(左)と準優勝の平尾さん |
次回の第42回大会は2022年1月11日(火)に開催され、今回以上の参加者が見込まれますので、より盛大な大会を目指し皆様奮ってのご参加を期待しております。
晴天の10月29日(金)八王子C.C.にて、当初29名がエントリーしていましたが、最終的にそれでも過去最多となる6組24名(3組ずつOUT & IN 同時start)が参加して、第39回ゴルフコンペが開催されました。
2021年10月29日(金)於:八王子C.C. 集合写真 |
今回は本年4月以降武蔵野三田会会員となられた4名の方が参加され、Golfを楽しみながら新入会員の方々との交流を図ることが出来ました。競技は新新ぺリア方式で行われ、津嶋さんがぶっちぎりの優勝(Gross 93 HDCP 25.6 NET67.4)、準優勝は酒匂さん(Gross 96 HDCP 24 NET 72.0)、そして髙山新司さんが三位(Gross 98 HDCP 24 NET 74.0)に入りました。前回優勝の鷲田さんはさすがのBest Gross (92)でしたが、惜しくも4位という結果でした。
表彰式・団欒風景 |
2021年10月19日(火)曇り時々雨、気温15℃ と11月下旬を思わせる天気予報でしたが9名が参加しました。幸いと、雨にはほぼ遭わずに済み約1年振りの散策の会を楽しみました。結果報告:JR吉祥寺駅から秋葉原に向かい散策のスタートです。
散策 神田から人形町
柳森神社(主祭神:倉稲魂大神 クライナタマノオオカミ)
長禄2年(1458年)太田道灌が江戸城の鬼門除けとして伏見稲荷大社から祭神(宇迦之御魂命)を勧請して創建された。
柳の木が多く植樹されたので柳森の名前がついたようです。江戸時代には日本橋堀留町の椙森神社・新橋の烏森神社と共に「江戸三森」と言われていたとのことです。
龍神、犬(狗)神、狐神 |
おたぬきさん(福寿神祠) |
2021年10月19日参加者記念撮影 |
2021年10月19日参加者記念撮影 |
玄武館跡
江戸時代は「お玉が池」と呼ばれた土地にある北辰一刀流を開いた千葉周作の道場跡です。繁栄お玉稲荷
神田お玉が池の由来 |
繁栄お玉稲荷 |
十思之疏の由来 |
明治末期から平成2年まで、ここに十思小学校があったことが名前の由来のようですが、「十思」とは中国の司馬光による歴史書にでてくる「天子がわきまえるべき10ヶ条の戒め(十思之疏)」からとられているとのことです。
松陰先生終焉の地 |
江戸時代この地には所謂「伝馬町牢屋敷」がおかれていた場所で、吉田松陰、高野長英など幕末の国粋思想家達が処刑(斬首され遺骸は小塚原刑場に放置)された場所でもあり松陰処刑の石碑なども残っています。
地下から現れた牢屋敷の石垣 |
椙森神社(すぎのもりじんじゃ)
江戸三森の一つであり日本橋七福神(恵比寿神)の一つでもあります。
富塚 |
当選を祈願? |
玄冶店跡(げんやだな)
江戸前期の医師で徳川家の御典医岡本玄冶の拝領江戸屋敷の跡(岡本玄冶は1645年に没し広尾の祥雲寺に葬られている)。
現在は史蹟の碑と説明板が建てられている。
大観音寺(おおかんのんじ)
鉄製の巨大な観音様の頭部(170㎝)が祀られているのですが、残念な普段は開帳されていない(11日と17日が縁日)。
ただお前立の観音様も立派ですし「韋駄天」、「馬頭観音」も祀られているのでお参りしましょう。
大観音寺:鉄造菩薩頭の説明 |
韋駄天尊 |
人形町のからくり櫓(町火消しと江戸落語)
春のからくり櫓(ご参考) |
江戸の情緒と風情を残している人形町のシンボルとして建てられたからくり櫓で、「町火消し」と「江戸落語」の二つの櫓があります。
町火消しは人形が梯子乗り、纒あげを披露し、江戸落語は噺家の人形が登場して人形町の由来を話すのですが、午前11時から19時までの正時の起動なので運が良ければからくりを見ることが出ますが、今回はどうでしょうか。
西郷隆盛屋敷跡・谷崎潤一郎生誕地
西郷隆盛の屋敷跡は江戸末期姫路の殿様酒井氏の屋敷があった場所で、西郷が征韓論で下野するまでの2年間住んでいたとのことです。谷崎潤一郎生誕地は割烹「人形町谷崎」のビルになっており、このビルの壁に説明板があります。
人形町には人形浄瑠璃の小屋が多く集まっていたが、この人形の首を精妙に動かすには鯨のヒゲがないとできなかったことから、鯨のオブジェが街角に造られています。
蛎殻銀座跡
銀座は銀の地金の購入と銀貨を製造する役所ですが「銀座」というと現在の中央区銀座を思い浮かべますが、実は寛政12年(1800年)に銀座に不正があり寛政の改革の一環として銀座はいったん廃止され、改めて蛎殻町に銀座が再発足され明治になるまで蛎殻町にあったとのことです。
銀座は現在の銀座2丁目に約190年、蛎殻町に約70年あったことになります。甘酒横丁入口交差点付近に説明板が建てられています。
甘酒横丁
人形町通りから明治座方向に浜町緑道までの約250m.が甘酒横丁です。
明治時代はもう少し南に寄ったところにあり道幅も狭い小路だったが関東大震災後の区画整理によって現在のようになったが名称はそのまま呼び継がれてきています。
甘酒横丁の名前の由来は明治時代に現在の甘酒横丁の入り口あたりに尾張屋という甘酒屋があったことからその小路を甘酒横丁と呼ばれるようになったとのことです。
当時も人形町にあった寄席や明治座の芝居帰りの見物客で賑わっていたそうです。
勧進帳の弁慶の像 |
【右の案内より】
弁慶像について
久し振りの散策も、この弁慶の像前で現地解散となりました。各自、三々五々甘酒横丁で夕べの買い物などしてから帰宅の途につきました。